ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

今さらのBトレ 近江鉄道500形②

f:id:himetaka2018:20240306022819j:image地元の近江鉄道500形の続きで、前回は旧塗装の500形を組立てました。
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f:id:himetaka2018:20240303025151j:imageタイミングよく同じ500形の新塗装車も出品されていたので、調子に乗って入手して組立てました。
f:id:himetaka2018:20240301113321j:image旧塗装車とは違って、軽量化されて各扉が無塗装のステンレスとなり前面腰部にステンレス無塗装の飾り帯が配された501・506編成がプロトタイプです。
f:id:himetaka2018:20240301165302j:image502-505の新塗装車とは少しイメージが異なります。
この501と506にも差異があり、501のヘッドライトにはリムがありテールライトが若干奥まっていたので、今回は506編成としました。
f:id:himetaka2018:20240303183513j:imageまた506のみ運転席側窓下に手すりが付いていますが、Bトレ製品は旧塗装・新塗装とも全車にこの手すりが表現されているというエラーがあります。
f:id:himetaka2018:20240306000803j:image1987年からのワンマン運転に際して設置されたバックミラーは正しく表現されています。
f:id:himetaka2018:20240303195927j:imageBトレwikiには「前面パーツが幅狭で、左右の側面にはまりづらい」と記載されており、前面を無理矢理はめると側板の中間部が膨らんでしまったため、全体的に羽目合いが渋いことも含めて何回かバラしてアチコチ削って調整しましたが、私のウデでは歯が立ちませんでした。
f:id:himetaka2018:20240306010957j:imageNゲージ化はしないので、説明書通りに組んでシールを貼ったら完成です。
f:id:himetaka2018:20240306011101j:image説明書には側面のワンマンシールは片側しか貼り付け指示が記載されておらずサボ受けのモールドもなかったのですが、実車の写真では各扉横についていたようなのでシールだけ貼りました。
f:id:himetaka2018:20240306012318j:image近江鉄道車両として最初に入手したけどシール類がなくて放置していた組立済み品は
・車番が前面はどちらも1701
・側面の車番は電動車が701で付随車が1701
・電動車の正面にのみワンマン表記
・カプラーが密連
というエラーだらけの仕上がりでした。
f:id:himetaka2018:20240306022549j:image間違っていたシール類を貼り直して504編成にし、行先も貴生川に変更して先頭部のカプラーをSGフレームの自連(短)に、連結面をHGフレームのドローバーに交換しました。
f:id:himetaka2018:20240306010937j:image506編成は最初から新塗装で登場したため、当時はこのように新旧塗装車が並んでいたんでしょうね。

以上

今さらのBトレ 近江鉄道500形①

f:id:himetaka2018:20240228010819j:imageヤフオクに地元の近江鉄道の500形Bトレ車両が比較的安価で出ていたので、落札して整備する事にしました。
f:id:himetaka2018:20240227110338j:image近江鉄道京阪電車大津線と共に滋賀県に展開している私鉄で、かつては気動車王国とも呼ばれた江若鉄道(湖西線建設のため1969年10月末で廃止)もありました。
f:id:himetaka2018:20240227110630j:imageこの近江鉄道は、明治期に創立以来一度も社名を変えずに存続している数少ない私鉄で、戦時中に箱根土地(現在のプリンスホテル)の経営傘下に入ってから一貫して西武グループに属しています。
f:id:himetaka2018:20240227110920j:image常に金欠のクセに色んな事に手を出しては止めるの繰り返しで、その際たるものがED14です。
f:id:himetaka2018:20240227110929j:image1050形として電気機関車黎明期に輸入された4両全機を保有・展示していたのですが、2019年になってからカネがないことを理由にこの歴史的遺産を人知れず解体してしまって一両も残っていない状態にしてしまいました。
このED14は以前にNゲージ車輛を記事にしています。

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現在、近江鉄道存続のために交通税の導入が滋賀県で真剣に検討されています。
f:id:himetaka2018:20240227133305j:image500形は、1969年から1983年にかけて自社工場で製造された16m級3扉ロングシートの前面貫通型の非冷房車で、吊り掛け式駆動装置を持つモハ500と付随車のクハ1500で2連を組みます。
f:id:himetaka2018:20240227144843j:image1983年製造の最終506編成は装備の軽量化が図られ各扉が無塗装のステンレスとなり、前面腰部にステンレス無塗装の飾り帯が配された山吹色一色の塗装で竣工し、その後501編成も同様のスタイルに改造されました。
f:id:himetaka2018:20240227145450j:image1980年代にエアサス台車に換装されブレーキも更新されましたが、800系の増備が本格化したのを受けて2000年から順次廃車となりました。
なお車体は新造ですが、14年の長きに渡って製造されたため各車細部が少しずつ異なっています。
f:id:himetaka2018:20240228010148j:image以前に組立て済みの商品を競合者なし(入札者が私だけ)で落札、モノが来てからシール類が無いことに気がついて各社インレタ・シールを調べましたがヒットせず(KitcheNが500形の車体を出しているのでインレタもあるみたいなのですが…)、放ったらかしになっていました。
f:id:himetaka2018:20240227113341j:image今回未開封品が格安で出品され、前回同様競合者なしで落札出来ました(よっぽど人気ないんでしょうか?)。
f:id:himetaka2018:20240227125508j:image整備と言いながら単純に組立てただけですが、シールの貼付位置がモールドの上という難しい仕様になっていました。
f:id:himetaka2018:20240227125623j:imageモールドの大きさに合わせてシールを切って貼るのが正しいとは思ったのですが、白色のシールは殆ど見えないため細かく切り出すのは至難の業なので諦めました。
f:id:himetaka2018:20240228010833j:image前述の通り502-505の各車でも細かい差異があり、503は尾灯下のステップが尾灯の真下(他は尾灯の内側)にあり505はヘッドライトリムがないので、製品の形状から502-1502編成としました。
f:id:himetaka2018:20240228011133j:imageNゲージ化もパンタグラフの金属化もやらなかったのでこれで終わりです。
f:id:himetaka2018:20240228012704j:imageNゲージ化していないものはアクリルケースに並べているだけなので、ディディエフが以前に販売していた小さなジオラマがあればいいなと思っています。
f:id:himetaka2018:20240228010148j:image以前に落札した700形の車番が貼り付けてある組立品も、余りシールで正しく貼り直します。

続きます。

今さらのBトレ クハ86全金車②

f:id:himetaka2018:20240216084439j:imageKATO旧製品クハ86 300番台のBトレ化の続きです。
f:id:himetaka2018:20240216084723j:image前回は車体外側が完成したので、今回は下回りを止める加工を行います。

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f:id:himetaka2018:20240214111627j:imageガラスパーツを取りつけると床板の厚み半分ぐらいはみ出ます。
f:id:himetaka2018:20240214111642j:imageこれなら床板の厚み分削ったら収まると考え、写真の赤線部でカットして切断面をヤスって平滑にしました。
f:id:himetaka2018:20240220013759j:image窓ガラスと車体裾の間隔がBトレ製品と同じ2mmになったので、このまま床板をハメると丁度いい車高になる筈です。
f:id:himetaka2018:20240220013303j:image車体と床板の固定方法は、以前に床板が車体内幅と同じことを確認していたので両面テープで貼り付けることにしました。
f:id:himetaka2018:20240220013447j:imageかなり年季の入ったテープですがそれなりに粘着力はあります(強力に引っ付くと分解がちょっと面倒になる)。
f:id:himetaka2018:20240220013613j:imageHGフレームの取り付けピンを切り飛ばして横面に両面テープを貼ります。
f:id:himetaka2018:20240220013741j:image思惑では0.5mmほど床板が奥まるはずでしたが、何故か車体裾とツライチです。
f:id:himetaka2018:20240220014057j:image幅もピッタリ入るはずが1.2mm程度の隙間が出来てしまいました。
これでは両面テープでは止まりません。
現物合わせのい〜加減な寸法取りに基づいて手抜き加工するといけませんねぇ、最初からやり直しです(あ~ぁ)。

続きます。

今さらのBトレ クハ86全金車①

f:id:himetaka2018:20240213213236j:image関西本線101系の屋根塗装が、晴れた日は風が強くて曇ると気温が10℃を切るという季節なうえ、母親の病院付添や私の定期検診日に限って小春日和だったりして全く実施出来ていません。
f:id:himetaka2018:20240211142652j:image排気付き塗装ブースの購入も検討中ですが、現在の窓は隣家に面しているため部屋を大幅に模様替えして道路側の窓に排気するように変更しなければならないので躊躇しています。
f:id:himetaka2018:20240211181312j:imageそうこうしているうちに、宴会開始までの時間潰しで寄ったポポンデッタでKATO旧製品のクハ86ボディが格安で出ていたので衝動で買ってしまいました(下回りとライトユニットはなし)。
f:id:himetaka2018:20240211155547j:image車体番号が1959年の車両称号規程以前の表記であることから、1957年の80系300番台登場当時の形態を模型化したKATO初の80系準急「東海・比叡」(1998年発売)に使われたクハ86 300番台車のAssyと思われます。
f:id:himetaka2018:20240211181408j:imageちなみに2001年に発売された同じ仕様の300番台車は晩年の姿が再現されていました。
f:id:himetaka2018:20240214015503j:imageコレをちょん切ってBトレ(ショーティー)化します。
f:id:himetaka2018:20240211182504j:image別体化されている信号炎管(写真赤丸)を無くさないように注意しながら車体を分解し、短縮箇所を考えながら車体と屋根板および窓ガラスをニッパーで切断します。
f:id:himetaka2018:20240214105708j:image今回は側窓を1枚ずつ残した形で切断しました。
f:id:himetaka2018:20240212033354j:imageこれは300番台車がクロスシートのピッチが拡大されたことでトイレ(3位)側の窓配置が変更され、トイレ横の窓が狭くなっていて窓配置が左右非対称になったためです。
f:id:himetaka2018:20240212230849j:image窓ガラスは後方妻板部から側窓2枚分までで切り取ります。
f:id:himetaka2018:20240212164308j:imageこれを後部車体に取付け、はみ出た側窓ガラスに先頭部車体の側窓がハマるようにして前後の位置を合わせます。
f:id:himetaka2018:20240212164351j:image窓ガラスを後部車体にマスキングテープで仮止めし、この窓ガラスをガイドに車体が合うように削っていきます。
f:id:himetaka2018:20240212164503j:imageまだ隙間がいっぱいありますが、私の腕ではこれ以上削ってもそれ程変わらないのでこのくらいでヨシとします(肉眼では見えませんし…)。
f:id:himetaka2018:20240212164513j:image屋根板は、まず先頭からベンチレーター3個分で切断して既存のストッパーを活かして止めます。
f:id:himetaka2018:20240212164522j:imageそのあとで妻板部からベンチレーター2個分ちょっとのところでカットし、現物合わせで長さを調整します。
f:id:himetaka2018:20240212164900j:image続いて運転席側のガラスパーツの加工で写真の赤線部でカットしますが、そのままニッパーで切って変な方向に割れたら困るのでカッターでスジを入れてから切断しました。
f:id:himetaka2018:20240212182525j:imageガラスパーツをはめて信号炎管を挿せば、車体の仮組みが完成です。
f:id:himetaka2018:20240212220441j:imageこのままでもバラバラになる事はありませんが強度がなく力がかかると分解してしまうので、前後の車体をボンドGクリヤーで接着します。
f:id:himetaka2018:20240213162702j:imageさらにガラスパーツが外れやすいので、前部と後部のガラスパーツの隙間にボンドGクリヤーを爪楊枝で擦りつけました。
f:id:himetaka2018:20240213190112j:image屋根板は元車体に付いていたストッパーを使いますが、短縮した状態で一体化すると外れなくなる可能性があるため接着していません。
f:id:himetaka2018:20240214003939j:imageBトレ製品と比較するとほぼ同じ長さとなり、側窓の大きさや扉のプレスなどの違いがわかります。
f:id:himetaka2018:20240213193233j:image床板はないのでBトレ製品用を流用しますが、サイズはピッタリ合いそうです。
f:id:himetaka2018:20240213234802j:image試しにHGフレームを押し込んでみると、窓ガラスが薄いので多少車体が膨らむもののそのまま装着出来ました。
f:id:himetaka2018:20240214110930j:imageこの状態で床板を取り付けることが出来れば問題なさそうです。
f:id:himetaka2018:20240214111058j:imageBトレ製品と高さも同じになっています。
f:id:himetaka2018:20240214111925j:imageただ窓ガラスが薄いので床板に乗せても止まらないため、床板の固定方法には何か工夫が必要です。

続きます。

姫路に行ってきました②-2(グルメ編)

f:id:himetaka2018:20240130131822j:image母親の通院付き添いで電車で帰省する機会が増えたため、前回は思いつきで撮った写真で電車と街中を紹介しました。
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f:id:himetaka2018:20240128215141j:imageまたほぼ一年前に姫路のB級グルメである「駅そば」について記載しました。
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今回は有名な「姫路おでん」と「姫路のたこ焼き」です。
f:id:himetaka2018:20240128214707j:image前回の記事で最後に行った車崎にある、昭和14年創業で80年以上続いている姫路おでんの元祖的お店「大衆食堂かどや」さんです。
f:id:himetaka2018:20240128214752j:image今でこそ姫路おでんというハイカラな名前ですが、私が住んでいる頃は関東煮(かんとだき、と読む)と呼んでおり、この店のメニューも関東煮のままでした(店主はおでんと呼んでましたが)。
f:id:himetaka2018:20240128214819j:image「だいこん」と「やきどうふ」と「こんにゃく」で、見ての通り形が変わるほど濃く煮込まれていて(とうふが壊れているのは店主の愛嬌です)、上から生姜醤油がかけてあります。
f:id:himetaka2018:20240128214841j:image余談ですがこの店の中華そばは、もやしと豚肉と蒲鉾の入ったラーメンとは全く別物のとっても昔懐かしい味でした。
f:id:himetaka2018:20240128214907j:image昨年12月に姫路駅構内2階の新幹線乗換口にあるマネキダイニングに行った時は、入り口横(写真の白丸)に出ていた「本日のおすすめ」メニューの姫路おでんセットをいただきました。
f:id:himetaka2018:20240128214639j:image名前そのままの姫路おでんと駅そばにご飯が付いているだけのセットですが、こちらのおでんは煮込みが少なく(前述の「かどや」さんとは大根の色が全然違います)アッサリとした一般的な「おでん」の味わいで、「姫路おでん」を販売している大半の店はこの薄味らしいです。
f:id:himetaka2018:20240128220626j:imageもう一つが「明石焼風タコ焼き」で、現時点では姫路のB級グルメとしては認知されていないので私が言ってるだけです。
f:id:himetaka2018:20240128215400j:image1959年に当時の姫路駅デパート地下にフードコートとして開業した姫路タコビアで出したのが始まりで、姫路駅地下改札口を出てすぐのところにありました。
f:id:himetaka2018:20240128220633j:image2019年10月に創業者が亡くなったことで翌年3月に姫路タコピィに変更されました。
f:id:himetaka2018:20240128221054j:image見てくれは有名な明石焼と同じです。
f:id:himetaka2018:20240128221112j:imageでも姫路では先ずたこ焼きにたっぷりとソースを塗ります。
f:id:himetaka2018:20240128221237j:imageでもってソースを塗ったままたこ焼きをダシにドボン!していただきます。
f:id:himetaka2018:20240128221310j:imageだいたいこの時点で驚かれますが、ポスターでも宣伝されている通り姫路では昔からこのスタイルです。
f:id:himetaka2018:20240128221333j:image価格は10個で480円です(食券ではなく「プラ券」の販売機で、No.3がたこ焼きです)。f:id:himetaka2018:20240128221351j:imageちなみにNo.6 290円は「イカ焼き」ですが、これはゲソとネギと紅ショウガを小麦粉ベースの生地に混ぜて2枚の鉄板でプレスして焼き上げたもので、腹を膨らすには最適の食べ物です。
このイカ焼きは関西では縁日の屋台とかで普通に売られていた粉もんですが、関西以外ではイカのまる焼きのことをイカ焼きと言っているのを見て「まんまやん、ヒネリがない!」と思った記憶があります。
f:id:himetaka2018:20240130150906j:imageなお平日(月曜〜木曜)であればタコ焼きに生ビール2杯付けて千円ポッキリの「せんパイ!」セットがお得なのですが、いざ発注してみるとビール1杯でタコ焼きが無くなってしまったため、もう1杯のために姫路おでんを3個(300円)追加するという散財をしてしまいました。
f:id:himetaka2018:20240130160935j:imageオマケで御座候(ござそうろう)の回転焼です。
ちまたでは回転焼自体のことを御座候と言うらしいのですが、そもそも御座候は地元姫路で創業された店の名前だったので、御座候(店)に行って回転焼き(商品)を買っていたことから「御座候の回転焼き」と呼んでいました。
写真は姫路駅構内1階にある店舗ですが、以前は前述の旧タコピアのすぐ隣にあり(タコピア内にあったかも?)、タコ焼き食べてから回転焼きをお土産に買って帰ることが多かった記憶があります。
f:id:himetaka2018:20240130160428p:image一般的には大判焼で関東地方は今川焼と呼ばれているらしく、奈良大学岸江信介先生の「回転焼の名称に関する調査研究」では、近畿2府4県に限ると兵庫県大阪府奈良県が「御座候」、京都府滋賀県が「大判焼」、和歌山県のみ「太鼓焼」となっています。

以上

姫路に行ってきました②-1(電車と街ぶら編)

f:id:himetaka2018:20231222154757j:image昨年秋から母親の通院付き添いなどで電車で姫路と行き来する事が増えたため、気が向いたら撮影していた写真から列車や街(今回)とB級グルメ(次回)に関するものを順不同で紹介します。
f:id:himetaka2018:20230212183501j:image湖西線堅田駅に停まっていたバラスト運搬散布車で、コイルバネ付きのボギー台車が付いているように見えますし。連結器には朝顔型が使われているようで、いわゆる「働く電車」は殆ど知らないのですが動力車も同じなのでしょうか?
f:id:himetaka2018:20240123085114j:image湖西線おごと温泉駅で普通電車を待っていると今年3月には敦賀止めになる金沢行683系「サンダーバード」がかっ飛んで行きました。
f:id:himetaka2018:20240123085148j:imageコロナ明けで本数が増えたのかすぐに大阪行の683系「サンダーバード」がぶっ飛んで来ましたが、どちらも4000番台の9両貫通編成でした。
f:id:himetaka2018:20240128230148j:imageこの「サンダーバード」は当分の間敦賀までは残るため、この辺りで撮影している撮鉄さんはいらっしゃいませんでした。
f:id:himetaka2018:20240124122713j:image113系117系が無くなる前は沢山来られていましたが、お立ち台(有名撮影地)ではない為か皆さんマナーの良い方ばかりでした。
f:id:himetaka2018:20231222155729j:imageただ丁度これらのポンコツ(?)電車がなくなる頃から暫く電車で帰省する機会がなかったので、最後の喧騒(いわゆる騒ぐのが大好きな葬式鉄のお出まし)があったのかは不明です。
f:id:himetaka2018:20230212184805j:imageこれは221系と併結出来るようにわざわざ性能を落とした223系の6000番台で、関西国際空港利用客の大型荷物への対応で座席数を減らしたため座れなくなって評判の悪い2500番台とともにいつの間にか湖西線に入線していました。
f:id:himetaka2018:20240130010729j:image京都駅を出発する289系「くろしお23号」白浜行で、上り12号と共に唯一京都に顔を出す「くろしお」ですが、この日は3両増結された9両編成で運転されていました。
f:id:himetaka2018:20240130094026j:imageもともと683系2000番台の改造車なので、乱暴な言い方をすれば帯の色以外はサンダーバードと同じです。
f:id:himetaka2018:20230212192746j:image姫路駅に並んでいる223系姫路行新快速(右)、225系米原行快速(中)、223系米原行新快速(左)です。
f:id:himetaka2018:20240130093723j:image快速専用の113系がいなくなって快速も新快速も同じ見た目になってしまいました。
f:id:himetaka2018:20240124170234j:image姫路駅に到着した大阪発浜坂行「かにカニはまかぜ」号で、ここで方向転換するため車掌さんが控えておられます。
f:id:himetaka2018:20240124172456j:imageヘッドライト消灯・テールライト点灯して方転完了し、反対側の先頭車両に運転士さんが乗車されます。
f:id:himetaka2018:20240124172839j:image鳥取発京都行の智頭急行HOT7000系スーパーはくと」が発車していきます。
余談ですがHOT7000のHOTは、智頭急行鉄道が通っている兵庫県(Hyogo)・岡山県(Okayama)・鳥取県(Tottori)の頭文字です。
f:id:himetaka2018:20240125104237j:image隣りの電車は前回も紹介した播但線の寺前行103系3500番台です。
f:id:himetaka2018:20230212193313j:imageさて列車の話はここまでにして、ホーム上で見つけたちょっと変わった自販機を紹介します。
f:id:himetaka2018:20230212193357j:image上段や中段は普通ですが、下段にはホットカルピスやじっくりコトコトのコーンスープがあります。
f:id:himetaka2018:20230212193609j:image更に「1本でしじみ70個分のちから」おみそ汁や、「牛乳でおいしくスープなシチュー」、「ピリッと旨辛 チゲ風スープ」、「大納言しるこ」が並んでいて、なんじぁコレは?と思ってしまいましたが、買う人が一定数いるから置いてあるんでしょうねぇ…
f:id:himetaka2018:20240129131620j:image以前に、かつて姫路の町の上をたった8年間だけ走っていたモノレールの記事を載せました。
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f:id:himetaka2018:20240129015325j:imageこのモノレールの橋脚が廃止から50年経った今でも遺構として残っています(姫路駅のホーム西端から北西側を撮影)。
f:id:himetaka2018:20240129141415j:imageこの写真の奥2つは撤去されない理由として有名なビルと一体化した橋脚です。
f:id:himetaka2018:20240129142352j:imageこれらのビルは橋脚と一緒に建てられたと思っていましたが、実は後から無理やり建てたもの(違法建築?)で、モノレール完成時の写真には存在していません(赤丸内の橋脚3本が現存している上の写真と同じもの)。
f:id:himetaka2018:20240130094550j:image街中を姫路駅方面に向いて歩いていると急にデン!と現れるので、知らないとちょっと驚きます。
f:id:himetaka2018:20230212195933j:imageさてもう少し北西の方へ歩いて行くと、国道2号線と路地に挟まれた無茶苦茶狭小なタコ焼き屋さん(明石焼きではありません)があり、凄いところに建てたもんですがこの建物は50年前からあったそうです(もちろん改装されています)。
f:id:himetaka2018:20240131095457j:imageその横の駐車場に置いてあった軽自動車、15年間で12万キロ乗って15万円でした。
f:id:himetaka2018:20240129160018j:imageあれっ販売店はあったっけ?と気になったので後日ストリートビューで確認すると思った通り駐車場だけで店舗は存在していませんでした、どこで買うんやろ??
f:id:himetaka2018:20230212200541j:imageこの辺りは、私が小学低学年頃に写真右手に見える国道2号線が倍の幅になってこれらのビル群が建設され、子供心になんでここだけ近代的なん?って思っていましたが、60年近く経っても周辺が開発されることも国道の拡幅区間が伸びることもなく当時のままの姿で残っていることも不思議でした。
最近になってわかったことですが、これらの船場・元町ビル群は1961年11月に決定した市街地改造事業に基づいて1965年末から建設されてきたもので、前述のモノレールを大将軍駅で分岐・進展させてここを通す計画になっていたそうです。
これら船場・元町地区を皮切りに全市内に開発を進める計画だったようですが、残念ながらモノレール進展を含めて推進していた石見(いわみ)市長が失脚したため計画は中止され、ここだけが取り残されたようになってしまいました。
f:id:himetaka2018:20240130124239j:imageなお、現在はこれらビル群の東端である白鷺橋から姫路駅前通りである大手前通りまでの国道2号線は拡幅されています。
f:id:himetaka2018:20240130124311j:image余談ですが昔から姫路では白鷺「はくろ」と読み、「しらさぎ」という呼び名が広まったのは無知なマスコミのせいで、秋芳洞(あきよしどう、一時期しゅうほうどうと報道された)と同じ轍を踏んでいます。
f:id:himetaka2018:20231222161605j:imageこれらビル群のすぐ西側に、知る人ぞ知る(「知っている人しか知らない」と言う意味?)「かどや食堂」さんがあります。

続きます。

今さらのBトレ 関西本線の101系②

f:id:himetaka2018:20240122012926j:imageBトレ関西本線101系の続きです。

himetaka2018.hatenablog.com

また、関西本線にいた101系の車番と形態をこちらにまとめました。

himetaka2018.hatenablog.com

製品の先頭部には外バメ式の尾灯がモールドされているため、この記事からクモハは79-81・83〜になりクモハ100パンタグラフは全車がPS16になります。
そこで編成に変化をつけるために、モハ100をPS13搭載車(1-47)にすると避雷器は自動的にLA13となるため、クモハ100をLA15が装備された93号車以降とします。
また1975年頃の電化当時の編成をネットで探したところ、1975.2.27の関西線上り列車の編成(天オト)が見つかりました。

奈良←クモハ101-91・モハ100-87・サハ101-45・サハ100-45・モハ101-85・クモハ100-89

この編成をベースにし上記の考察に従ってモハ100をパンタグラフがPS13の27号機(避雷器はLA13)に、クモハ100を避雷器がLA15になった103号機(パンタグラフはPS16)に変更し、それ以外のクモハ101・モハ101・サハ100/101はそのままの車番としてベンチレーターと共にこれら屋上機器を別パーツ化します。
余談ですがサハは2両とも1982年8月の水没事故で廃車になっています。
f:id:himetaka2018:20230917223430j:image先ずグローブ形ベンチレーターの別体化ですが、本体はTomixのPB-104(新型のCタイプ)を、台座にはTAVASAのPN-480Tを使いました。
このグロベン、103系とは形状が少し違うらしいのですが私には全く区別がつかないうえ市販されているパーツも新型は一種類しかないのでそのまま使用しています。
f:id:himetaka2018:20230916145340j:image屋根板にモールドされているグロベン、および先頭車の信号炎管と電動車の避雷器をニッパーで切り取ります。
f:id:himetaka2018:20240117130804j:imageグロベンの場合は撤去跡の穴が大きいので、裏からエバーグリーンのプラ棒70EG108(0.25x4.8mm)で塞いでパテで埋めてから台座パーツを貼り付けます……のつもりでした。
f:id:himetaka2018:20230916145423j:imageところが、プラ板を貼った時点で台座パーツがグロベン撤去跡の穴より大きいことに気が付いたため穴は塞がずに、撤去跡をヤスリで綺麗にしてそのまま台座を接着しました。
f:id:himetaka2018:20240121111322j:imageモールドされたグロベンを切り取る時に指を挟んだり、切り取り跡が大きく残ったりしたのでニッパーをタミヤからグッドスマイルカンパニーに変えてみました。
f:id:himetaka2018:20230925033129j:image指を挟まれる事なく快適に切り飛ばすことが出来たのですが、本当に根本から切り飛ばしてしまうので穴が大きくなったうえ穴の周りに多数の傷が発生してしまい、当初予定していた通りに穴を埋めないと台座パーツが着かなくなってしまいました。
よく切れるから良い物…ではないようです。
f:id:himetaka2018:20230916145804j:image全車共通の信号炎管はグリーンマックス103系用の8072屋上機器パーツを使います。
f:id:himetaka2018:20230916145826j:image背の低いタイプを使い、0.4mmの孔を開けてパーツを差し込み裏から接着します。
f:id:himetaka2018:20230916145958j:image何分にもパーツが小さいので不器用で老眼の進んだ年寄りには厳しい作業ですが、幸いな事に異次元にダイブする事なく思ったよりも簡単に収まりました。
f:id:himetaka2018:20240117213811j:imageLA13避雷器はタイミングよく発売されたKATO AssyのZ04-0553 151系避雷器を使用し、銀色なのでねずみ色1号に塗装します。
f:id:himetaka2018:20240121105826j:imageでもなんでこんなに長いランナーが付いているんでしょう?
f:id:himetaka2018:20240117212742j:imageLA15避雷器も同じくKATO AssyのZ03-1312 EF60一般色ランナ付部品に含まれているモノを使うつもりでした。
f:id:himetaka2018:20240119102159j:image私の知っているLA15は写真のようにカバーのないタイプで、カバー付きがLA15A、小判型の蓋がついたのがLA15Bと思っていたのですが、ネット上の実車屋上写真は西武鉄道しかなく模型はLA15Bがついていました。
f:id:himetaka2018:20240118163711j:imageネットで時々目にするLA15カバー付きと表記されたものとLA15Aが同じものか分かりませんでしたが、取り敢えずGM8072屋上機器(避雷器・アンテナ)パーツに含まれているLA15Aを使います(もしかしたらカバーのついたLA15が存在するのかもしれません)。
f:id:himetaka2018:20240122015518j:imageパンタグラフグリーンマックスの5802 PS13NとKATOの11-420 PS16ABを使い、方向は違いますがどちらも取付足が2つ穴なので無加工でつけられます。

続きます。