Bトレ関西本線101系の続きです。
また、関西本線にいた101系の車番と形態をこちらにまとめました。
製品の先頭部には外バメ式の尾灯がモールドされているため、この記事からクモハは79-81・83〜になりクモハ100のパンタグラフは全車がPS16になります。
そこで編成に変化をつけるために、モハ100をPS13搭載車(1-47)にすると避雷器は自動的にLA13となるため、クモハ100をLA15が装備された93号車以降とします。
また1975年頃の電化当時の編成をネットで探したところ、1975.2.27の関西線上り列車の編成(天オト)が見つかりました。
奈良←クモハ101-91・モハ100-87・サハ101-45・サハ100-45・モハ101-85・クモハ100-89
この編成をベースにし上記の考察に従ってモハ100をパンタグラフがPS13の27号機(避雷器はLA13)に、クモハ100を避雷器がLA15になった103号機(パンタグラフはPS16)に変更し、それ以外のクモハ101・モハ101・サハ100/101はそのままの車番としてベンチレーターと共にこれら屋上機器を別パーツ化します。
余談ですがサハは2両とも1982年8月の水没事故で廃車になっています。
先ずグローブ形ベンチレーターの別体化ですが、本体はTomixのPB-104(新型のCタイプ)を、台座にはTAVASAのPN-480Tを使いました。
このグロベン、103系とは形状が少し違うらしいのですが私には全く区別がつかないうえ市販されているパーツも新型は一種類しかないのでそのまま使用しています。
屋根板にモールドされているグロベン、および先頭車の信号炎管と電動車の避雷器をニッパーで切り取ります。
グロベンの場合は撤去跡の穴が大きいので、裏からエバーグリーンのプラ棒70EG108(0.25x4.8mm)で塞いでパテで埋めてから台座パーツを貼り付けます……のつもりでした。
ところが、プラ板を貼った時点で台座パーツがグロベン撤去跡の穴より大きいことに気が付いたため穴は塞がずに、撤去跡をヤスリで綺麗にしてそのまま台座を接着しました。
モールドされたグロベンを切り取る時に指を挟んだり、切り取り跡が大きく残ったりしたのでニッパーをタミヤからグッドスマイルカンパニーに変えてみました。
指を挟まれる事なく快適に切り飛ばすことが出来たのですが、本当に根本から切り飛ばしてしまうので穴が大きくなったうえ穴の周りに多数の傷が発生してしまい、当初予定していた通りに穴を埋めないと台座パーツが着かなくなってしまいました。
よく切れるから良い物…ではないようです。
全車共通の信号炎管はグリーンマックス製103系用の8072屋上機器パーツを使います。
背の低いタイプを使い、0.4mmの孔を開けてパーツを差し込み裏から接着します。
何分にもパーツが小さいので不器用で老眼の進んだ年寄りには厳しい作業ですが、幸いな事に異次元にダイブする事なく思ったよりも簡単に収まりました。
LA13避雷器はタイミングよく発売されたKATO AssyのZ04-0553 151系避雷器を使用し、銀色なのでねずみ色1号に塗装します。
でもなんでこんなに長いランナーが付いているんでしょう?
LA15避雷器も同じくKATO AssyのZ03-1312 EF60一般色ランナ付部品に含まれているモノを使うつもりでした。
私の知っているLA15は写真のようにカバーのないタイプで、カバー付きがLA15A、小判型の蓋がついたのがLA15Bと思っていたのですが、ネット上の実車屋上写真は西武鉄道しかなく模型はLA15Bがついていました。
ネットで時々目にするLA15カバー付きと表記されたものとLA15Aが同じものか分かりませんでしたが、取り敢えずGM8072屋上機器(避雷器・アンテナ)パーツに含まれているLA15Aを使います(もしかしたらカバーのついたLA15が存在するのかもしれません)。
パンタグラフはグリーンマックスの5802 PS13NとKATOの11-420 PS16ABを使い、方向は違いますがどちらも取付足が2つ穴なので無加工でつけられます。
続きます。