関西本線の101系を整備する上で、在籍した車両を調査しました。
関西本線101系の歴史は、1973年10月1日の奈良電化に合わせて大阪環状線や中央線快速から80両が転入した時から始まります。
ウグイス色の車体に先頭車両の正面に黄色いラインを引いた塗装に変更されて鳳電車区(天オト)に配置されました。
鉄道図書刊行会発行の鋼鉄車両配置表による1974年3月31日現在の天オト配置車両は以下です。
Mc 11,27,28,29,50,83,86,87,88,89,91,100,103
M'c 11,25,27,28,29,30,83,86,87,88,89,91,100,103
M 14,20,21,27,28,29,36,44,81,82,83,84,85,87
M' 14,20,21,27,28,29,48,81,82,83,84,85,87
T 41,42,43,45,53,54,57,59,60,64,67,75
T' 41,42,43,45,53,54,57,59,60,64,72,76,78,79
その後、1978年の紀勢本線電化に伴って開設された日根野電車区(天ヒネ)へ全車転属しました。
同じく鋼鉄車両配置表による1979年3月31日現在の天ヒネ配置車両は以下です。
Mc 11,27,28,29,50,83,84,86,87,88,89,91,100,103
M'c 11,25,27,28,29,30,83,86,87,88,89,91,100,103
M 14,20,21,27,28,29,36,44,81,82,83,84,85,87
M' 14,20,21,27,28,29,48,80,81,82,83,84,85,87
T 41,42,43,45,53,54,57,59,60,64,67,75,78
T' 41,42,43,45,53,54,57,59,60,64,72,75,76,78,79
また、1982年8月1日の台風10号により王寺駅で床上冠水して60両が廃車となりました(写真は奈良県発行の大和川ジャーナル創刊号から転載)。
鉄道ピクトリアルNo.487(1987.11)による冠水事故廃車車号は以下です。
Mc 11, 28, 29, 50, 83, 84, 86, 88, 100, 103
M'c 11,27, 28, 29, 83, 87, 88, 91, 100, 151
M 14, 21, 27, 28, 29, 81, 83, 84, 87, 180
M' 14, 20, 21, 28, 29, 48, 80, 81, 82, 84
T 41, 42, 45, 54, 60, 64, 67, 75, 78
T' 41, 42, 45, 54, 60, 64, 72, 75, 76, 78, 79
このうちクモハ100-151とモハ101-180は1982.7.13に津田沼から転属してきたばっかりで、1ヶ月もしないうちに水没して廃車されてしまいました。
この事故廃車車両の代替として、首都圏で廃車予定の101系54両(オレンジとカナリア)と片町線で余剰となった101系6両(オレンジ)が補充されました。
鉄道ピクトリアル7月号別冊「国鉄形車両の記録 101系通勤形電車」に記載されていた冠水事故応援車両と転入時の車体色です。
オレンジ
Mc 30,38
M'c 17
M 152
M' 36,146
T 3,207
T' 3
Tc 13
カナリア
Mc 54,71,72,155
M'c 66,159
M 66,200
M' 40,41,52,158
T 44,93,267,268
T' 27,44,217
T'c 19
ウグイス(大井工場で他の色から塗替え)
Mc 59,142
M'c 5,37,47,135,138,162
M 5,52,121,128,129,155,160,185,213
M' 45,116,129,150,178
T 234,253,261,272
T' 69,95,219
Tc 26
1983年より103系の配属が始まり1985年1月に関西本線での運転を終了しました。
なお、関西本線にいた101系は冷房化されなかったこともあり外見的差異は生産時のもの(パンタグラフ・避雷器・尾灯)だけで、前述の「国鉄形車両の記録 101系通勤形電車」によるとパンタグラフがクモハ100 1-49とモハ100 1-47はPS13でそれ以降はPS16、避雷器はクモハ100 1-92とモハ100 1-87はLA13でそれ以降はカバーのないLA15(モハ100 260-263のみカバー付のLA15B)、先頭車の尾灯はクモハ101/100とも1-78・82が内バメ式でそれ以降は大型の外バメ式になっている程度です。
以上