ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

今さらのBトレ 特急「スーパーくろしお」

f:id:himetaka2018:20220418214203j:imageこれまで381系の特急として、1982年夏と2000年秋の「やくも」を再現したので、今回は在来線特急では最も多く利用した「スーパーくろしお」を整備しました。
f:id:himetaka2018:20220319151644j:image阪和線紀勢本線の特急「くろしお」は、1978年10月2日の紀勢本線新宮電化を機に、それまでのキハ82系7両編成を381系100番台9両編成に変更して天王寺-新宮間で運転開始、1985年3月14日のダイヤ改正から閑散期には5号車と6号車のMM'ユニットを減車した7両編成の運用になりました。
f:id:himetaka2018:20220319152814j:image国鉄分割民営化後の1989年7月22日ダイヤ改正から「スーパーくろしお」が専用編成で運行開始、同時に天王寺駅構内の阪和短絡線が完成して新大阪経由で京都まで運転区間が延長されました。
f:id:himetaka2018:20220323182339j:imageさらに1998年12月からリニューアル改造が始まり、新宮方の先頭車であるクハ381 100番台をグリーン車に格上げ改造してクロ381 100番台に改称し、スーパー編成とグリーン車の位置を合わせました。
余談ですが、この時に従来のサロ381は普通車への格下げ工事を行ってサハ381に改称されたので、くろしお色のサロ381は全車サハ381に格下げされていて存在しなかったと思われます。
f:id:himetaka2018:20220418214349j:image今回再現したのは「スーパーくろしお」が走り始めてからリニューアルされるまでの編成です。
f:id:himetaka2018:20220419094010j:image白浜アドベンチャーワールドに何回もパンダを見に行き、その度京都発着の「スーパーくろしお」/「オーシャンアロー」を利用したので最多乗車の特急列車になりました。
f:id:himetaka2018:20220413134520j:image2009年4月に唯一紀伊勝浦まで足を延ばした時は、京都ー新大阪を新幹線に乗って乗継割引を適用してもらい、特急料金を半額にしました。
最初に乗ったのは1994年頃で、「スーパーくろしお」の先頭グリーン車の最前列を頑張って予約しました。
f:id:himetaka2018:20220323183344j:imageその前に乗った「スーパー雷鳥」のパノラマグリーン車の印象が素晴らしかったので期待していたのですが、京都を出るとすぐに琵琶湖が広がる湖西線と違って紀勢本線は白浜近くまで行かないと海が見えない上、取ったのが進行方向左側の1番AB席だったので1列2人x2掛シートの右側に広がる海は見にくく、またハイデッカーではなかったのか前面展望も運転士の頭が邪魔でちょっとガッカリした記憶があります。
f:id:himetaka2018:20220419094045j:image元々アドベンチャーワールドも三段壁や千畳敷などと同じ白浜観光名所の一つという位置付けで、観光客の少ない金曜日にアドベンチャーワールドに行ってケニア号や徒歩でサファリを見学(キリンにエサやった)、土曜日に定期観光バスや定期バスに乗って白浜町内を観光していました。
f:id:himetaka2018:20220419095256j:image白良浜付近の写真館でカメラ用電池を買った覚えがあるので色々と写真を撮ったはずですが、整理が悪いので見つけることが出来ませんでした。
f:id:himetaka2018:20220419094232j:image1994年9月6日に永明と蓉浜が来園して翌年にパンダランド完成し、良浜が2000年9月9日に誕生したころからパンダ・ぱんだ・大熊猫・・・と言い出して「特急くろしお」=「白浜アドベンチャーワールド」=「パンダ」の図式が出来上がりました。
f:id:himetaka2018:20220401165414j:imageさて、使ったのは381系スーパーくろしお4両セットを3箱で、実車通りの6両+3両編成としました。
f:id:himetaka2018:20220412181700j:imageこのスーパーくろしお編成のトイレ窓はすりガラスのままのため、本来は付いていないモハ381のトイレ窓のみプラ板で塞ぎました。
「やくも」と同様にエバーグリーンの帯板(1.5mm幅x 0.25mm厚)からトイレ窓の長さに合わせて切出し幅を整えますが、慣れるとカッターで削り出すだけでほぼほぼピッタリにする事が出来、ヤスる作業がなくなって作業が捗りました。
f:id:himetaka2018:20220413162849j:imageまたモハ380に搭載のパンタグラフは、当初「やくも」と同様のホーンが1本になったものと思い、簡単装着のGM5812 PS16Wを用意していましたが、実車の写真をアレコレ見るとホーンは2本のままで耐雪カバー付きの姿になっていました。
写真から判断するに、どうもリニューアル時にホーン1本タイプになった様です。
f:id:himetaka2018:20220412183910j:image右が一般的なホーン2本でカバーなし(PS16C)、真ん中が今回のホーン2本で耐雪カバー付(PS16J)、左がリニューアル後のホーン1本で耐雪カバー付(PS16I)です。
f:id:himetaka2018:20220413163239j:image耐雪カバーはないけどポン付け出来るKATOのPS16Bで充分と思っていたのですが、実車パンタグラフ形状をググっている時に、ホーンが2本で上昇用バネに耐雪カバーが付いている「74138-1F モハ188GUあずさパンタグラフ」を見つけてしまったので、頑張って取り付けてみました。
f:id:himetaka2018:20220413185442j:image以前にガイシ(取付け足)の先端を直接マークして穴を開けたら足が歪んでいた分ズレたので、0.5mmのプラバンにガイシ根元の寸法を測って0.7mmの穴を開けたジグを作ってみました。
f:id:himetaka2018:20220413185454j:imageちょうどパンタグラフが収まっています。
f:id:himetaka2018:20220413185506j:imageでもプラ板って透明じゃないんですよね、このジグを置くと屋根板にモールドされたパンタ台の位置がわからない!
f:id:himetaka2018:20220413185522j:imageだいたいの位置を目分量で合わせてピンバイスを差し込んだら大外れ!慌ててやり直したら更に酷いことに……ウデもないくせにい〜かげんなことをやってはいけませんね。
f:id:himetaka2018:20220417181952j:image結局のところ、プラ板と同じ寸法を直接マークして0.7mmの穴を開けて取り付け、浮き上がる箇所は以前と同じように裏から接着しました。
f:id:himetaka2018:20220419105548j:image各種標記類については、車番とトレインマークおよびグリーンマークは製品に付属のシールを、方向幕はペンギンモデルの行先側面方向幕シールNo.52「くろしお/スーパーくろしお用」の新宮行(基本編成)と白浜行(付属編成)を、種別サボもペンギンモデルのアクセサリーシールAS11「特急用サボ」から客扉側に「特急・指定席/自由席」・反対側には「特急・LTD.EXP」を、号車サボもペンギンモデルのアクセサリーシリーズAS1「号車札 黒」から号車付きのものを使用しました。
f:id:himetaka2018:20220412124223j:image白浜方面先頭車の1号車(クロ380-2)で、指定席のグリーン車(1/3が禁煙席)です。
スーパーくろしお用のクロ380は、1989年から1990年にかけてサロ381の後位側に大型前面窓を採用した先頭部構体を接合したもので、当初の座席は1列2人+2人掛だったのですが1996年に新幹線0系発生品で1列2人+1人掛けに交換しています。
f:id:himetaka2018:20220411162450j:image付属のシールにはこの車両のトレインマークが付いていないため、ペンギンモデルのヘッドマークシールHW35(381系用)を使いました。
f:id:himetaka2018:20220411205408j:imageまたJRマークもないため、Bトレwikiで紹介されている通り221系に付属のシールから転用しました。
f:id:himetaka2018:20220417211904j:image2号車と3号車は自由席のモハユニット(64)で、2号車が禁煙車両です。
f:id:himetaka2018:20220417212149j:imageこのモハ381-64に動力ユニット3を入れました。
f:id:himetaka2018:20220417160435j:image4号車と5号車は指定席のモハユニット(40)で、5号車が禁煙車両です。
f:id:himetaka2018:20220418002535j:image基本編成の天王寺方面先頭車である6号車(クハ381-502)で、指定席の禁煙車両です。
白浜での増解結の効率化のために、クハ381 100番台に自動解結装置・電気連結器を装備して500番台に改番されました。
f:id:himetaka2018:20220415163319j:image編成の途中に入るためカトーカプラー密連型に交換しますが、そのままではスカートが邪魔して取り付ける事は出来ないので、カッターナイフで開口部を大きく切り開きました。
f:id:himetaka2018:20220417003212j:imageまたカプラーのジャンパ栓は邪魔になるので根元からカットします。
f:id:himetaka2018:20220417003448j:imageスカートとカプラーポケットの隙間がなく全く首を振りませんので、スカートの厚みを削って薄くします。
f:id:himetaka2018:20220417003506j:imageスカート内側のクリアランスを確保しても殆ど首を振らないのでアレコレ調べると、カプラーのフックがスカートに当たっていました。
f:id:himetaka2018:20220417005805j:imageスカートのこの部分を削ってしまうとミテクレがかなり悪くなるので、強度が心配ですがカプラーのフックを薄くしました。
f:id:himetaka2018:20220417005944j:imageこれでモハ380-500と連結してR140のカーブを通過出来る様になりました。
f:id:himetaka2018:20220417013529j:image100番台と並べてもそれほど違和感は感じません(左が500番台)。
クロ380と同様に221系の付属シールにあるJRマークを使用しました。
f:id:himetaka2018:20220417172525j:image7号車(モハ380-501)は自由席の禁煙車両で、クハ381 500番台と同じく白浜での増解結の効率化のために自動解結装置・電気連結器を装備していますが、白浜駅では移動しないため簡易運転台はついていません。
すなわち白浜駅では同一ホームから上りと下の特急が発着するという荒技を行っていたようで、ホームの端っこに付属編成3両がポツンと止まっているのが印象的でした。
f:id:himetaka2018:20220417172620j:imageクハ381 500番台と連結する側の貫通路が塞がれているので、Z04-9814貫通路塞ぎ板(381系SくろR)の取付足を切り飛ばして貼りつけました。
f:id:himetaka2018:20220417172935j:imageこの貫通路塞ぎ板ですが、「スーパーくろしお」用と「スーパーやくも」用で形状が異なっていて、KATOのAssyパーツでも作り分けられています。
なお「スーパーやくも」用は、間違えて買って不良在庫になったZ04-9451貫通路塞ぎ板(381系やくも)です。
f:id:himetaka2018:20220410143136j:image8号車のモハ381-34で、指定席の禁煙車になります。
f:id:himetaka2018:20220417174519j:image9両編成になるので、これにも動力ユニット3を入れてあります。
f:id:himetaka2018:20220418003131j:image9号車の付属編成天王寺方面先頭車(クハ381-107)で、指定席の禁煙車です。
クロ380と同様に221系の付属シールにあるJRマークを使用しました。
f:id:himetaka2018:20220418214553j:imageこれで1994年頃の特急「スーパーくろしお」は完了です。
f:id:himetaka2018:20220419011046j:image

続いて1989年初夏の特急「しなの」にかかります。

 

以上

今さらのBトレ 特急「やくも」③ 2000年11月

f:id:himetaka2018:20220412104942j:image1982年夏に岡山ー井倉間を乗車した381系特急「やくも」9両編成をBトレで再現したので、続いて2000年11月上旬に安来(やすき)へ出張した帰りに安来から岡山まで乗車した時の編成を整備します。
この時は10月28日に鳥取西地震の余震で発生した土砂崩れの影響で生山ー根雨間が11月16日まで不通になっていたため、根雨駅で降りて代行バスに乗り換え恐ろしく険しい道を走って生山駅まで行った記憶があります。
f:id:himetaka2018:20220317142800j:imageさて1978年7月1日の伯備線電化時に9両編成で登場した381系「やくも」でしたが、1985年3月14日のダイヤ改正で閑散期には5・6号車のM'Mユニットを減車した7両編成になりました。
さらに1986年11月1日のダイヤ改正では、18両が日根野電車区に転出したこともあり、基本6両+増結3両の編成に変更されました。
f:id:himetaka2018:20220311102558j:imageこの時不足する先頭車を補うために、岡山寄り6号車のモハ381を先頭車化改造して新形式のクモハ381に改称しました。
このクモハ381ですが、全くやる気が感じられないシュールな簡易貫通扉が設けられているため、個人的にはあまり好きな顔ではありません。
f:id:himetaka2018:20220317142907j:imageその後1997年4月からのリニューアル改造施工に合わせて緑と灰色の「やくも」色に塗装変更、基本6両編成から2・3号車のM'Mを抜いた4両編成や、さらに4号車のグリーン車まで抜いた3両編成から、多客時には最大でMcM'Tcを増結した9両編成まで見られるようになりました。
f:id:himetaka2018:20220311105132j:image今回はこの減車された4両編成を整備しました…と言っても単に「381系やくも 4両セット」を組んだだけです。
Bトレwikiによると「地色がエラー。ライトグレーのはずがアイボリーになっている。」との事ですが、実車の写真と比べてもなんとなく明るい気がする程度で違いはよくわかりません。
f:id:himetaka2018:20220409011536j:image乗車したのは11月の閑散期のうえ前述のバス代行区間があることで全車自由席だったため最短の3両編成ではなかったかとも思っていますが、確証がないので調べてみました。
f:id:himetaka2018:20220402134851j:image2000年以降の時刻表を持っていないので1999年5月の時刻表で調べましたが、乗車した2000年11月までに編成の変更はなかった筈です。
f:id:himetaka2018:20220402135042j:image2種類の編成が記載されており、上の「やくも」がTcM'Mc[TsM'Mc]のグリーン車なし3両編成で下がTc[M'M]TsM'Mcのグリーン車付4両編成となり([ ]内は減車対象車)、乗車したのは時間的にグリーン車付4両編成の「やくも20号」の可能性が高いのでこの編成としました。
f:id:himetaka2018:20220405093438p:imageこの時刻表の編成表からわかる通り禁煙席が既に設定されているため、なんらかの禁煙表記がある筈と思ってネットの写真を色々見た結果、どうやら独立した禁煙マークではなく種別サボの下半分をさらに二分割して指定席/自由席と禁煙車を表記していたようで、この様式のサボをアレコレ探しましたが見つけることが出来なかったため、諦めて国鉄特急色の時と同じ内容としました。
f:id:himetaka2018:20220405114149j:image前回の国鉄特急色を整備中にモハ381にはない筈のトイレ表現があるというエラーがある事を知ったのですが、今回はそのモハ381が組み込まれていないので大きな間違いはないと思っていました。
f:id:himetaka2018:20220405125359j:imageところが、上記禁煙表記を探している時に全車両のトイレ窓がないことに気が付きました……どうやらリニューアル時に塞がれたようです。

f:id:himetaka2018:20220408160733j:imageクモハ381以外の製品は国鉄特急色と同じ金型を使っているため、トイレ窓がバッチリ存在します(写真ではラベルペーパーを貼っています)。
もちろん!窓を埋めて再塗装…な訳はなく、前回検討したけど手間かかり過ぎでやめたプラ板を貼る方法を採用し、このプラ板に車体色を塗装して塞がれている雰囲気を出そうと考えました。

f:id:himetaka2018:20220403175456j:image私のウデではプラ板を1.5mm幅均一に切り出すのは難しいため、エバーグリーンの幅1.5mmで厚さ0.25mmの平棒を使います(不器用なモデラーの強い味方です)。
f:id:himetaka2018:20220403180643j:imageこれを長さ4mmに切出し、トイレ窓の大きさに合わせてちょっとずつ周りを削ってピッタリサイズにします。
ラベル用紙に比べて側面との段差が少なくなっています(0.3mm厚だとツライチに近くなりそうです)。
サイズを合わせる際に#400でヤスると端がモケモケになったので、可能な限りカッターで削って#800で整えました。

f:id:himetaka2018:20220408160804j:image車体の緑色は、グリーンマックスの緑2号と緑15号を適当に混ぜてそれらしい色にして手塗りしました。
一番下のストローは、塗料をビンから取り出す時に使います。
f:id:himetaka2018:20220408161018j:imageパーツがちっちゃいので固定するためにテープに貼って塗ったら、はみ出た塗料が餃子の羽のようになって固まってしまいました。
f:id:himetaka2018:20220408161150j:image周りをカッターナイフで切ってからトイレ窓に貼ってみました。
う〜ん…ちょっとイメージと違って埋めた感丸出しになってしまいました。
色もかなり異なっていますが、今回はこれで埋めた事にします。
f:id:himetaka2018:20220405231916j:image各種標記類については、車番とトレインマークおよびグリーンマークは製品に付属のシールを、方向幕はペンギンモデルの行先側面方向幕シールNo.53「やくも・スーパーやくも」から白字でJR使用の出雲市行を、種別サボはペンギンモデルのアクセサリーシールAS11「特急用サボ」を、号車サボはペンギンモデルのアクセサリーシリーズAS1「号車札 黒 」から号車付のものを使用しました。
幸いなことにやくも色の車両にはJRマークやJR-Wマークは付いていないので、これらの調達は不要になります(準備しろ!って言われても入手困難ですが)。
f:id:himetaka2018:20220408161618j:image出雲市方面先頭車の1号車(クハ381-132)で、自由席の禁煙車両です。
客扉側のサボに「特急・自由席」を、反対に「特急・LTD.EXP.」を貼りました。
f:id:himetaka2018:20220409001429j:image4号車のグリーン車(サロ381-28)で指定席の禁煙車両です。
この車両はトイレ窓が塗り分け線にかかっているので、塞いでいるのがよりはっきりとわかっちゃいます。
f:id:himetaka2018:20220408234418j:image付属のシールは3種類ありますが、なぜか381系100番台国鉄色2両セットに付属のシールのグリーンマークだけが極端に小さくてGreen Car表示もなく、なんの車両に使うのかナゾです。
f:id:himetaka2018:20220408163824j:image5号車はパンタグラフ付電動車のモハ380-78で、4両編成の場合は喫煙の自由席になります。
f:id:himetaka2018:20220331212901j:imageモハ380のパンタグラフは標準的な直流電車用のPS16で、通常はシューとホーンが一体型の2本タイプですが、JR西日本ではホーンが1本タイプのものが使われています。
f:id:himetaka2018:20220331190456j:imageこのホーンが1本タイプのPS16はKATOとグリーンマックス(GM)から製品化されています。
f:id:himetaka2018:20220403170543j:image比べてみるとKATO製の方がやや小さく、381系で使われていた上昇用バネに耐雪カバーがついた耐寒型になっているのですが、Bトレ用の取付け足がなくガイシの下4ヶ所で止める方式のため加工が必要です。
f:id:himetaka2018:20220405131404j:imageGM製は取付足があるので無加工で取付けられますが、上昇用バネが剥き出しの暖地仕様で下枠も1本だけになっています(PS16の下枠は2本のはず?)。
f:id:himetaka2018:20220403172546j:image簡単に取り付けられるGM製品でいいか、多少実車と違っていてもそもそもショーティーやし…とは思ったものの、今回はパンタグラフ装着車が1両だけやし根気のない自分でも出来るだろうと、取付け用の穴を開けてKATO製品を使うことにしました。
f:id:himetaka2018:20220408180433j:image取付け穴の位置を実際にパンタグラフを台座に置いて決め、0.7mmの穴を開けましたが、パンタグラフに付いている取付け足がヒコ歪んでいるので差し込むのに結構苦労しました。
f:id:himetaka2018:20220405230418j:image取付け足(ガイシ)の付け根で計測しないとダメですねぇ〜上手く収まらないので裏側から接着して強制的に止めましたが、経年劣化で抜け落ちる可能性が大です。
f:id:himetaka2018:20220408164101j:imageまたこの車両に動力ユニット3を入れています。
f:id:himetaka2018:20220409024428j:imageこのユニットにもKATOカプラー密連型A黒を取り付けたのですが、カプラーを捻るとボロッと外れてしまいました。
f:id:himetaka2018:20220409024329j:imageカプラー押さえ板がキチンと嵌っていないようですが、通常であればコゼッても外れる事はありません。
f:id:himetaka2018:20220409024650j:imageモノによってはカプラーがポケットにうまく収まらずに、カプラー押さえ板が浮いて浮いてしまう事がわかりました。
f:id:himetaka2018:20220409024922j:imageこのカプラー押さえ板が浮かなくなるまで、カプラーの根元部分を削ります。
客扉側のサボに「特急・自由席」を、反対に「特急・LTD.EXP.」を貼りました。f:id:himetaka2018:20220404010257j:image岡山方面先頭車の6号車(クモハ381-1)で、指定席の禁煙車両です。
この車両のみ専用金型で簡易貫通扉が表現され、実車通りワイパーも片側1本ずつになりトイレ窓もありませんが、窓割りの関係からか窓と妻板の間に変な空間があります。
客扉側のサボに「特急・指定席」を、反対に「特急・LTD.EXP.」を貼りました。
f:id:himetaka2018:20220409012756j:imageこれで「やくも色」時代の特急「やくも」は完了です。
f:id:himetaka2018:20220412105231j:image習作で作ったジオラマですが、やっぱり風景があるといいですね(自己満足)。

f:id:himetaka2018:20220330150633j:imageその後2010年8月2日から全列車が「ゆったりやくも」にリニューアルされ、現在でも381系が現役で活躍する唯一の特急ですが、ついに2024年春から273系が投入されることになりました。
f:id:himetaka2018:20220330150647j:image国鉄特急色が復活したこともあって最後の姿を見にいきたい気はありますが、コロナ前の大阪環状線103系(オレンジ色の電車)や三江線留萌本線(留萌ー増毛間)廃止時のように、近年の葬式鉄の過熱度合いは凄まじいモノがあるので、還暦を超えたジジィが出向くのはちょっと躊躇しています。
f:id:himetaka2018:20220311113052j:image
f:id:himetaka2018:20220311113046j:image写真は廃線前の2016年7月に撮影した増毛駅のホームと駅舎です。
鉄らしき方も含めて観光客はだ〜れも居らずに閑散としており、流石にこんな僻地を訪問するテツはい〜ひんのやなぁと勝手に了解してしまい、わずか5ヶ月後にあの喧騒があるとは思いもしませんでした。
翌2017年7月にも再訪しましたが、この時は廃線の宣伝効果があったのかかなりの観光客で賑わっていました(どの食事処も売り切れで昼食を食いそびれました)。
f:id:himetaka2018:20220322173754j:imageそれよりも北陸新幹線敦賀開業が近づいて来たので、マスコミや葬式鉄の方々が騒ぎ出す前に地元のサンダーバードを見にいかんと…

 

以上

 

 

今さらのBトレ 特急「やくも」② 1982年夏

40年間勤めてきたサラリーマン生活もとうとう残すところ半年となりました。

f:id:himetaka2018:20220330101633j:image一年以上前に整備したBトレ381系「やくも」編成を増車の上再整備しました。

f:id:himetaka2018:20220321015119j:image以前はBトレ381系の所有総数と作りたい列車の関係から7両編成に留めていましたが、その後新品2両セットが結構な割引価格で購入出来たり、またメルカリで4両セットを安く増備出来た事もあって総数が増えたため、この「やくも」を電化直後の1978年夏に岡山ー井倉間を乗車した時の9両編成に増車しました。
f:id:himetaka2018:20220321015136j:image追加した6号車と5号車のMM'ユニット(67)で、9両編成になるためモハ381には4軸駆動の動力ユニット3を装備しました。
f:id:himetaka2018:20220322163913j:imageまた以前は車番ステッカーだけだったBトレにも各種サボや方向幕まで貼ることにし、9両全車にサボステッカーを貼ります(写真は美軌模型店の各種サボを貼ってみたクハ481)。
f:id:himetaka2018:20220322234345j:imageこれまで特急列車は美軌模型店製の車番・種別愛称サボ・行先サボ/方向幕を使ってきましたので、今回も美軌模型店製品を使おうとHPを見たら上の写真の告知が…
ビックリしました、もう4ヶ月近く入院されていることになります。
確か昨年12月12日に退院されたばっかりだったはずなのに…ただただ早期の復帰をお祈りするばかりです。
f:id:himetaka2018:20220321015208g:imageなので今回はペンギンモデル製のシール(写真はHPから転載)を使いましたが、愛称サボは付属しておらず、種別サボ(AS11)も別途必要になります。
ただ特急「やくも」は381系になってから愛称サボは取り付けられていないと思われるため、客扉側サボを「上が白地に赤字の特急・下が赤地に白字のLTD.EXP」で、反対側のサボを「上が白地に赤字の特急・下が緑地に白字の指定席/青地に白字で自由席」としました。
f:id:himetaka2018:20220321020430j:imageで何号車が自由席だったのかですが、探し方が悪いのかネットでは当時の編成を検索することが出来なかったので、1978年7月版の時刻表を調べました(資料持っているのにズボラすべきではありませんね)。
f:id:himetaka2018:20220321020443j:image巻末の編成表から出雲市方の1号車から3号車までが自由席車両だった事がわかりました。
f:id:himetaka2018:20220321225627j:image余談ですが、編成表にある「まつかぜ3・2号」「はまかぜ」「あさしお」は、伯備線電化で「やくも」の運用を終えたキハ181系が充当されています(キハ82系から更新)。
f:id:himetaka2018:20220330102651j:imageもしこの時、両数の関係からキハ82系のまま残った「まつかぜ1・3号」もキハ181系に置き換えられていたら、この時点で余剰車となって形式消滅した食堂車(キサシ180)も生き延びていたことでしょう。
f:id:himetaka2018:20220328125822j:image全車とも方向幕・号車番号・種別サボの貼付けの他に、カプラーをKATOカプラー密連形A(黒)に交換しました。
またトイレ窓の白色化は、従来のガラスパーツ塗装はやめて、4.0mm x 1.5mmに切り出したラベル紙(KOKUYO はかどりラベル t0.07mm)を貼る方法を採用しました。
本当はt0.3mmのプラペーパーを貼るとガラス面がツライチになって実感的なのですが、先にシール貼ってしまったので分解したくなかったのと、側面パーツの窓とピッタリサイズにするのに大概手間がかかるのでやめました。
f:id:himetaka2018:20220330215609j:imageただサボの内容を調べるためにネットの写真を漁っている時に、あれ?モハ381にトイレがない??ということに気がつきました。
改めてBトレwikiを確認すると「モハ381とモハ380の側面は作り分けられていない(どちらにもトイレがある)。」としっかり記載されていました。
知らんかった……今さらどうにもならんし、どうか出来るウデもないし、でそのままです。
f:id:himetaka2018:20220328130251j:image出雲市方面先頭車1号車自由席のクハ381 127と岡山方面9号車指定席のクハ381 128です。
車番は新製投入時の第一編成のものを使っています。
f:id:himetaka2018:20220328123657j:image2号車と3号車のM'Mユニット(68号車)で自由席で、パンタグラフは全てKATO製11-420 直流パンタグラフ PS16 Bタイプを使っていますが、なぜかあ折り畳むと避雷器に当たります。
f:id:himetaka2018:20220328132443j:image4号車のグリーン車(サロ381 23)で、もちろん指定席です。
f:id:himetaka2018:20220328150408j:image5号車と6号車のM'Mユニット(67号機)で指定席です。
前述の通りM車のモハ381 67に動力ユニット3を入れています。
f:id:himetaka2018:20220328151944j:image7号車と8号車のM'Mユニット(66号機)で指定席です。
こちらにもM車のモハ381 66に動力ユニット3を入れています。
f:id:himetaka2018:20220330102321j:imageこれで1978年7月の伯備線電化当初の編成が完成です。
f:id:himetaka2018:20220330101818j:image

続いてJR時代のやくも色になった特急「やくも」の整備にかかります。


以上

 

Tomix製キハ35の整備③ 行先サボ・車番・標記類を貼る

f:id:himetaka2018:20211221095537j:imageTomixの新製品であるキハ35の整備の続きです。
f:id:himetaka2018:20211220230812j:imageまず行先サボは美軌模型店から「ルクス」シリーズの姫新線(白)ステッカーを取寄せ、「津山行」を使用しました。
f:id:himetaka2018:20211221100627j:image次にレタリング類ですが、東京方面に出張したついで(?)に秋葉原グリーンマックス・ザ・ストアーに寄って岡山気動車の所属標記インレタ(レボリューションファクトリーの「6755 キハ17系列所属インレタ岡オカ」)を入手しました。
f:id:himetaka2018:20211221100653j:image残念ながら車番インレタ(同じくレボリューションファクトリーの「6880 キハ35インレタ加古川」)は売り切れだったので、同じビルにあるMODELS IMON秋葉原店で購入しました。
f:id:himetaka2018:20211221090603j:image所属標記「岡オカ 定員132」は、6755キハ17系列所属インレタ岡オカの「岡オカ」と、6880キハ35インレタ加古川の「定員132/②定員132」を組み合わせて作ります。
f:id:himetaka2018:20211221100708j:imageレボリューションファクトリー製品では数字もなんとか読めますが、f:id:himetaka2018:20211221100724j:image製品付属のインレタはそもそも数字になっていませんでした。

岡山気動車区に所属したキハ35は75と216の2両だけで、そのうち1966.07.19に製造されてから1986.11.16に廃車されるまで岡山から動かなかった216とするつもりでした。
このキハ35 216は、1984年7月の写真ではシールドビーム1灯で前面補強板付の首都圏色でしたが、前面補強工事は1975年から、首都圏色は1978年の塗装規程変更以降なので想定している1974年は一般色の補強板なしの姿です。
f:id:himetaka2018:20211216105054j:imageただシールドビーム化は1974年度からなので改造されていたかどうかは微妙ですが、改造パーツ(写真は銀河モデルのN-071)がことごとく生産終了になっていたことと個人的な好みから原型のままとし…
f:id:himetaka2018:20211221001428j:imageのはずでしたが貫通扉渡板用の数字がない事がわかり、急遽「キハ35 76」と「35 65」を組み合わせてキハ35 75にしました。
この75号機は1964.09.30に製造されて岡山に配置されるも1979年から奈良・加古川・姫路と転属を繰り返して1987.01.24に姫路で廃車になっています。
足尾に保存されているという同車の写真ではシールドビーム2灯で前面補強板付・貫通路ベンチレーター埋込みの首都圏色(何故か標記類は一切なし)でしたが、前述の通りどノーマルの姿とします。
f:id:himetaka2018:20211221092852j:image問題の貫通扉渡板の車番ですが、通常の照明付拡大鏡では全く見えません。
f:id:himetaka2018:20211221093140j:imageなので拡大鏡に付いている高倍率レンズを使いましたが、かなり曲がって見えるため添付位置が分からずカンで貼ったら中心からズレた上に斜めになってしまいました。
もう1セットありますが、やり直しても上手くいく自信がないので当面はこのままとします。
f:id:himetaka2018:20211221093620j:imageATSや方向の標記も車番インレタに付属しているので貼ります。
f:id:himetaka2018:20211221093751j:image更に妻板には検査表等も貼りました。
歪んでいるので、これは貼りなおします(写真見て気が付いた)。
f:id:himetaka2018:20211221093900j:imageチラチラしていた室内灯の取付け部分を調整して組立て、一応の完了とします。
f:id:himetaka2018:20211221094222j:image配属区的には「架線注意」が必要なはずなのでこれから探します。
f:id:himetaka2018:20211211180552j:imageなお、ヤフオクで落札したボディとプリズム付き遮光ケースが届いたので、商品のチェックを兼ねてアパッチした2両目のキハ35(T)を元に戻しました。

以上

Tomix製キハ35の整備② 遮光ケースと室内灯の設置

f:id:himetaka2018:20211207100320j:imageTomixの新製品であるキハ35の整備の続きです。
f:id:himetaka2018:20211130160307j:image前回は遮光ケースを取り外したら前照灯レンズを破損。
f:id:himetaka2018:20211130160414j:imageレンズを接着剤で貼り付けて押し込んだらヘッドライトリムが外れるハメに…
f:id:himetaka2018:20211207084919j:imageあまり気にしないで手でキュッと押し込んだら少し変形したような…
f:id:himetaka2018:20211207105512j:imageよ〜見たら割れとるやん!
無理して乗った泥舟がどんどん沈んで行く気がする…
f:id:himetaka2018:20211207105814j:image内側から押して割れ目を修正しましたが、やっぱりわかるよなぁ〜
遮光ケースの取り外しは前面方向幕の交換には必要な作業で、取扱説明書に上級者向けと銘打ってあるカプラーチェーンの取付けより簡単なはず…のつもりだったんですがこんな目に遭うとは夢にも思っていませんでした。
f:id:himetaka2018:20211207110356j:image当然のことながら分売パーツにはないので、補修パーツを購入できないかと思ってTomixお客様相談室に電話、HPから発注出来る事を教えて頂き在庫を確認するも「販売用の在庫無し」の回答、そもそも持込み修理分しか用意してないんでしょうね。
発売されたばっかりの新製品のジャンクってないよなぁと思いながらヤフオクを見ると…あるわあるわ完成品からバラしたと銘打ったパーツ類が結構な高値でゾロゾロと並べられていました。
へぇ〜こんな商売もあるんやと感心しましたが、よ〜考えたら私のようなドジが多くいるとは思えないのでどの様な用途で需要があるのかちょっと不思議です。
そう思いながら軽い気持ちで屋根板なしのボディとプリズムパーツ付き遮光ケースを入札したら、あっという間に高値更新されて弾き出されてしまいました。
なんと落札された価格は送料別で2,000円強!
う〜ん、ヘッドライトのリムとレンズでこの金は出せないと思い、丸一日かけてアレコレと検索かけて探してみると比較的安価でウォッチ数の少ないモノが見つかり、結果入札数も少なくて1/9程度の価格で落札出来ました。
後は出店者様が悪徳商人でない事を信じて、商品の到着を待つだけです。
破損パーツを手当するメドがついたので、購入していたもう1台のキハ35(T)を使って整備を続行します。
f:id:himetaka2018:20211207110459j:imageまずベンチレーターを塗装した屋根板を交換します。
f:id:himetaka2018:20211207111844j:image次にレンズとリムを破損させた遮光ケースの挿入作業ですが、屋根板を外した状態で破損パーツを使ってやってみました。
f:id:himetaka2018:20211207111938j:image屋根板がないと構造がよくわかりますし、普通に挿入してもライトリムが飛び出てくる事もわかりました。
f:id:himetaka2018:20211207094923j:image挿入時にはヘッドライトレンズとテールライトレンズを平行に押し込む必要があるみたいです。
f:id:himetaka2018:20211207095113j:imageリムを指で押さえながら3つのレンズが車体の穴にハマっているかを確認しながら挿入します、テールライト導光部が前面と平行に収まったら完了です。
f:id:himetaka2018:20211206122253j:image中間封じ込めなので、カプラーが首を振らなくなるという噂のジャンパケーブルはやめ、カプラーチェーンのみ取り付けます。
前にも言った通り岡山気動車区(岡オカ)所属の姫新線直通列車7両編成に使うつもりなので、岡オカ所属のキハ35を調べてみると75と216の2両だけでした。
ただ製品のプロトタイプは38-216のため(1-37は乗務員扉の手すりが前後同じ長さ、217はトイレ窓が細長い)、形態的にはどちらでも合致します。
ただしどちらも前照灯は1灯式のシールドビームに改造されていました。
・75は1964.09.30に製造され岡山に配置、1979.02.11に奈良と1980.10.28に加古川を経由して1986.11.01に姫路に配属され、ここで1987.01.24に廃車されました。
・216は1966.07.19製造で岡山に配置されたまま一度も転属する事なく、この地で1986.11.16に廃車されました。
f:id:himetaka2018:20211207093930j:image室内灯は当鉄道標準品であるTORM.製のLED室内灯 幅狭タイプ【白色】を使います。
f:id:himetaka2018:20211207095925j:image多灯式の室内灯は均一に光ってくれますし、隔壁があるトイレ部分にもちゃんと光が届いています。
またヘッドライトは綺麗な電球色で、前面方向幕も点灯しています。
f:id:himetaka2018:20211207100151j:imageテールライトの光量も充分あります。
f:id:himetaka2018:20211207112452j:image車体を揺らすとかなりチラチラするので調整が必要です。
車体を押さえるとチラつきがなくなるので、通電部のスプリングに問題があるようです(ちょっと歪んでいるように見える)。
電気技術者に言わせると導光部品でないスプリングを使うこと自体が問題だそうです。
付属していない「定員132名・岡オカ」の所属インレタは、今週東京方面に出張するついでにIMONに寄って探す予定です。

続きます。

 

Tomix製キハ35の整備① ベンチレーターの塗装

Tomixから新発売されたキハ35系が届きました。
f:id:himetaka2018:20211128200651j:image購入したのは動力付のキハ30とトレーラーのキハ35 x2両で、今回はキハ35の1両を姫新線で運用されていた岡山区所属車として整備します。
f:id:himetaka2018:20211128200708j:imageキハ35系の最大の特徴である外吊り客扉の形状は素晴らしいのですが、扉が当たっている面のゴム表現がないため墨入れする必要があります。
また塗り分け部はやや甘く、色んな方が指摘されているように朱色4号が明る過ぎます。
乗務員扉の手すりは綺麗に塗り分けられており、前が短い38-217号機の姿になっています。
f:id:himetaka2018:20211129021737j:image製品の前照灯は白熱灯単灯で幌枠なし・前面方向幕は無地に設定されています。
何故か正面運転席窓横にある通風口は表現されていません。
岡山区所属車の前照灯は単灯のまま(実車は単灯のシールドビーム)・前面方向幕も使用されていなかったので白色のままとし、中間に連結されるので幌枠を取り付けます。
f:id:himetaka2018:20211128201431j:image車体と床下部を分解します。
室内はロングシートの表現がありますが、シート表現がイマイチなことや殆ど目立たないこともあって床や椅子の塗装はやめました。
f:id:himetaka2018:20211128203815j:imageグローブベンチレーターが屋根と同じ色になっています。
図面上はどちらも灰色1号なのでこれで正しいのですが、実車のグロベンはもっと明るい灰色(ねずみ色1号)で目立っていたので車体を分解してグロベンパーツを外して塗装します。
f:id:himetaka2018:20211129181155j:image先ず取説に従って遮光ケースを取り外し、続いて片方のガラスパーツを外します。
f:id:himetaka2018:20211129180834j:image更に室内から屋根板のストッパーを押して外した屋根パーツの裏側から出っ張りを押してグロベンを外します。
f:id:himetaka2018:20211128230328j:imageベンチレーター台座がちゃんと別パーツで付いており、私の知る限りプラ完成品でコレがあるのは初めて見ました。
f:id:himetaka2018:20211129134156j:imageグロベンは屋根板と同色に塗装されているのでプライマーは使わず、そのままGM鉄道カラースプレーのSP9ねずみ色1号を吹きました。
f:id:himetaka2018:20211129183906j:image

塗料が乾いたら元通りに組み立てます。
あれっ?前照灯が奥まっている⁉︎
おかしいなぁと思いつつ再度遮光ケースを外すとなにかがポロッと……うわっ❗️レンズ!!
f:id:himetaka2018:20211129235328j:imageどこで力がかかったのかは分かりませんが、上手くライトケースに入れないまま押したせいで0.5mm程の取付部が折れたようです。
いらん事せんとったらよかった…と思っても後の祭りです。
f:id:himetaka2018:20211130003444j:image元通りに修復するのは難しそうなので、点灯させない事を前提に車体側に接着する方向で検討中です。
f:id:himetaka2018:20211130013000j:imageとは思ったのですが、モノは試しで「タミヤセメント《流し込みタイプ》速乾」をレンズに着けて折れた部分に押し付けてみたら引っ付いたみたいです。
f:id:himetaka2018:20211130014713j:imageこの状態で遮光ケースを取り付け…あれっ?なんか飛び出た!?
なんとリム部分が外れて飛び出てきました。
異次元空間へ飛んでいかなくて良かったです。
というかリムは別パーツだったんですね、シールドビーム2灯への対応でしょうか。
どんどん泥沼に沈んでいきます。

 

 

続きます。

姫新線と姫路モノレールの思い出 1974年6月30日の記録


1973年4月からチャリで通い始めた高校ですが、2年生から冬季に限って姫新線を使った列車通学に変更しました。
当時の姫新線は急行が3往復、普通列車も最低1時間に1本は走っているローカル線だったので、田舎の高校生にとって特に不便は感じませんでした。
f:id:himetaka2018:20211117141217j:image播但線(長谷ー生野間にある渕の大カーブ)や北条線(法華口付近)と同様に、太市ー本竜野間のトンネルや東觜崎ー播磨新宮間の揖保川橋脚に自転車で蒸気機関車の撮影に行っていましたが、この時期の写真は列車撮影分をどっかに集めて保管したらしく、ネガごと紛失して写真は全く残っていません。
ところが先日出てきた1971年から1984年の中学高校時代のネガフイルムをプリントした中に、1974年6月30日に手柄山公園で行われた学校行事の帰りに姫路ー播磨高岡間で気動車列車を撮影したものが出てきました。
f:id:himetaka2018:20211111191804j:image手柄山公園から実家に帰る時に山陽本線の姫路ー英賀保間と姫新線の姫路ー播磨高岡間をこの順に横切りますが、先ず姫新線まで行って後期型(二段窓)キハ20x2連の播磨新宮発姫路行の860Dを撮っています。f:id:himetaka2018:20211111205809j:imageこの列車の撮影は16:34頃で次の843Dが来るまで30分近く間があるため、一旦山陽本線まで戻ってEF65 0番台最終型の124号機が牽引する上り貨物を撮っています。
現在では高架になってこの風景は全く変わってしまいました。
f:id:himetaka2018:20210728115535j:image姫路駅を16:58に出発する新見行最終の下り843Dで、前3両が新見行・中3両が津山行・最後尾は播磨新宮折返しの合計7両という今では考えられない長大編成でした。
またこの列車は津山でなんと1時間3分も停車し、そのためかはたまた津山で列車番号が845Dに変わるせいか分かりませんが、行先サボは播磨新宮回転車を除いて全て「津山行」になっていました。
この撮影場所も現在は高架になっていますが、写真左奥にはこの年の4月に運転休止になった姫路モノレールのレールが写っています。
f:id:himetaka2018:20211119112708j:image姫路モノレールのHPから転載した現役当時の写真です。
写真左側が国鉄姫路駅(見えているホームは姫新線用西1番線で、その上が豆腐町の踏切)で、その北側にモノレールの姫路駅がありました。
f:id:himetaka2018:20211119112933j:imageプラットホームには囲いもなく、高所恐怖症の私はモノレールが入線して来るまではかなり怖かった思い出があります。
写真左手に見えるのが当時の山陽百貨店(現在の山陽百貨店本館、このモノレール姫路駅辺りは同百貨店の西館になっている)で、二階には当時から山陽電気鉄道の電鉄姫路駅があります。
f:id:himetaka2018:20211119113622j:image姫路駅を出て60‰を駆け上がり高架上の山陽電気鉄道を更にオーバークロスしているところです。
右奥に姫路駅が見えていますか、現在遺構となっている「橋脚のあるビル」はまだ建っていません。
f:id:himetaka2018:20211119112212j:image下から見るとこんなかんじで、一番下が国鉄山陽本線(手前)と姫新線でその上が山陽電気鉄道です。
f:id:himetaka2018:20211119112631j:imageこのあと高尾アパートに設置された大将軍駅に入りますが、JR姫路駅からたった500mしか離れていないこの駅はモノレールを待っている間に歩いて帰れるためか利用者がなく、開業から僅か2年で廃止され通過扱いになっていました。
f:id:himetaka2018:20211119114029j:imageこのあと産業道路を跨いでR80mの最小カーブで方向を変えて南下し、私の撮った気動車の写真の位置に出ます。
上は山陽電気鉄道を越えている場所の写真ですが、この右側に大将軍駅があり、そこから左へ直角に曲がって写っているモノレールのすぐ上・後方に見えるトラス橋梁(重なって見えているトラスの手前は産業道路の通る大将軍橋)で国鉄をオーバークロスします。
f:id:himetaka2018:20211119111519j:image2008年のJR姫路駅の高架によってJRをオーバークロスしていた大将軍橋がなくなり、その橋を通っていた産業道路船場川線に名前を変え、2016年には大将軍駅があった高尾アパートも取り壊されて駐車場になってしまい、ビルと一体化した橋脚以外は何もなくなってしまいました。
さて気動車列車に話を戻しましょう。
f:id:himetaka2018:20210804172628j:image先頭のキユニ18は、1954-1955年に製造された片運トイレなしの量産液体式キハ16(当初はキハ45500、1957年4月の称号規程改正でキハ16に改称)を、1966年に改造したキハユニ18を再改造したものです。
キユニ18 4-6の3両が1971年度の改造後から廃車になるまでの10年間ずっと岡山区に在籍して、姫新線では1日4往復の全線直通列車に連結されて姫路ー新見間を走っていました。
f:id:himetaka2018:20211112102239j:imageまたキハユニ15も同じ運用に入っており、こちらは1952年度に製造された試作電気式のキハ44000が元で、パワー不足が祟って1957年4月の称号規程改正で初代キハ09になるも同年度中に液体式合造車に改造されてしまいました。
そもそもこのキハ44000は、総括制御ができる気動車を鉄道開業60周年までに実用化すると国鉄上層部が言ったものの、液体式気動車の開発が遅れたため急遽電気式ででっち上げて間に合わせたという大人の事情があり、元々長く使うつもりはなかったのかもしれません。
こちらも3両(1952年8月製でシル・ヘッダー付の1と、1953年3月製でバス窓の11・14)が運用されており、1と11は1962年度に鳥取から移ってきて1980年と1977年に岡山で廃車、14は1973年に加古川から転入するも1975年に浜田へ転出して1979年に廃車されています。
f:id:himetaka2018:20211112113902j:imageこれら3両とも前面が貫通型に改造されており、湘南顔だったキハ44000の面影を強く残していた加古川のキハユニと同形式だとは思ってもいませんでした。
f:id:himetaka2018:20211119122403j:image前から4両目にはキハ35がみえますが、当時のローカル線のドアは「手で開けて自動で閉まる」半自動方式で当然開閉スイッチなど無かったため、2枚扉で重たかった両開き扉タイプのキハ35やキハ23は敬遠していました。
なお手で扉を開けるため、停車しても乗降客がいないと何の変化もなく発車していきます。f:id:himetaka2018:20211117171547j:imageさてこの新見行列車と播磨高岡駅の次の余部(「よべ」と読みます)駅で交換してきた上月発姫路行862Dの後期型キハ20x2連です。
f:id:himetaka2018:20211117171553j:image後追いでも撮っており、写真中ほどの遥か後方に新幹線の架線が見えているので、撮影の合間に少しずつ播磨高岡駅方面に移動したようです。
f:id:himetaka2018:20210731020757j:imageさらに新見行普通列車余部駅の隣の太市駅で交換した、姫路に17:32着の大阪行上り急行「伯耆2号・みまさか3号」です。
中国勝山発の「みまさか3号」が5両編成、米子発の「伯耆2号」が6両編成で、併結する津山から姫路まで11両編成という特急が走らないローカル線とは思えない長大編成となって姫新線を疾走していました。
また両方の列車にグリーン車を連結しているため、1編成にキロが2両連結されている豪華な列車でもありました(前から3両目と後ろから2両目がグリーン車)。
f:id:himetaka2018:20210731021305j:image後追いの写真で見ると後ろから2両目の窓が異なっていることが確認できます。
姫新線内ではこの列車が最長編成でしたが、9両編成の「みまさか(下り3号・上り1号)」と4両(播但線内は8両、姫路で併解結)編成の「但馬(下り4号・上り1号)」は併結区間の大阪ー姫路間を13両編成で走っており、電車と違って運転台が幾重にも連なって出発して行く姿は迫力がありました。
中学時代にチャリで見に行った渕の大カーブを走行するC57牽引の客車列車、同じくチャリで見に行った国道372号の法華口駅横踏切を爆進するC12牽引の貨物列車、高校の下校時に播磨高岡のホームで飛び降りていた姫新線客車列車、大学の帰りに急行料金を払ってボックス席を独占しタバコを吸いながら追い抜いていく満員電車を見て優越感に浸っていた急行「みまさか5号」などジジィになると若かりし頃が懐かしくなるのは本当みたいで、頑張って少しでも多く再現したいと思っています。

 

以上