出張で東武鉄道のりょうもう号に乗ってきました。
出発時の関西地方は雪模様でしたが、富士山は中腹に雲がかかっているものの山頂は綺麗に見えました。
さて関西生まれ関西育ちの私が「りょうもう号」を認識したのは、1971年10月号の鉄道模型趣味誌に掲載されたTSCレイアウトを走る粉川武氏製作の1800系急行りょうもう号の写真で、私鉄電車と言えばロングシートの山陽電車しか見たことがなく、阪急電車京都線のクロスシート車や京阪・近鉄の有料特急をまだ知らなかった身としては強く印象付けられました。
この模型は16番スケール(1/80 16.5mmゲージ)の真鍮でスクラッチビルドされた力作ですが、よく見ると運転士側のワイパーがズレてしまっています。
他の写真では正規の位置に付いているので撮影前のレイアウト走行中に脱落したのかもしれませんが、デジタル化されて直ぐに修正出来る現代では考えられない写真です。
この中学生の時に知った1800系急行りょうもう号に乗ったのは200系就役直後の最末期でした。
残念なことに他車に比べて既に内装は陳腐化しており、お世辞にも乗り心地が良いとは言えませんでしたが、20年前の感動を思い出すことができました。
関西在住者が東武鉄道の両毛方面に出かける機会は少なく、次に乗車したのは500系リバティの運行開始後でした。
リバティってなんや?と思いながら乗ったら最新機種で、豪華な内装と乗り心地の良さに驚きました。
残念ながら内装は、その後に乗った京阪電車新3000系のプレミアムカーが立派過ぎて霞んでしまいましたが。
今回また両毛地方に出向く機会ができたため、登場して33年になり廃車編成も出てきた200系を狙って乗車しました。
この200系はかつて日光戦争で国鉄157系に対抗するために投入された1720系DRCを更新したもので、座席と台車・主電動機等が流用されました。
これまでは北千住駅乗り換えだったのですが、今回は始発駅である浅草駅まで行きました。
他の車両に出会う事を期待して少し早めに行き、リバティはキャッチしたのですがスペーシアは見逃してしまいました(それも金ピカ塗装でした)。
500系リバティけごん+リバティ会津の浅草駅到着です。
ホームのカーブがキツいので車体とホームの間に大きな隙間ができています。
これで乗客が落ちたりしないんやろか、と心配になるくらいのスペースがあります。
関西ではおしゃべりに夢中な方が先頭車同士の連結部に落ち、ムッチャ不細工な転落防止幌が設置されるようになってしまいました。
係員の方が手で渡り板を置いてくださいます(手動なんやとビックリしました)。
15分の折返し時間で清掃して乗客積み替えて出ていきましたが、東海道新幹線並みの速さですね〜
今回乗車した200系204F編成の入線です。
こちらは回送列車なので降車清掃はなく、すぐに乗車できました。
リバティと同じくホームと車両の間が広いので渡り板を置いてくれますが、意外と距離があってちょっと驚きました。
下り列車の奇数番席は窓ガラス後半なので見晴らしが良かったです。
写真を撮ることは出来ませんでしたが、本当に東京スカイツリーの真下を走っているんですねぇ〜ビックリしました。
もともとこの204FはDRCの座席を改造をしたものを装備していました。
でも新品に比べて座り心地もリクライニング機能も劣るため交換されてしまいました。
最近ではなかなか見たいタイプの長いテーブルが設置してあったので出してみました。
ところが出してしまうと押しても引いてもびくともせず、元に戻せなくなってしまいました。
だからこのシートバックテーブルが付いているのか…
1800系カラーに塗装された205F編成と足柄駅ですれ違いました。
帰りは500系リバティりょうもうです。
3両編成のためか平日の昼間なのに8割がた埋まっていました。
行きの200系りょうもうは2割程だったんですが…
浅草に入線直前で信号待ちしたので、その間に運転室扉を撮影しました。
リバティって前面展望はゼロなんや…という事に気が付きました。
しもた!行く時に見た6両編成の連結部分を通り抜けておけばよかった…
以上