ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

1971年8月の北海道旅行〜C62 3号機を見る

自宅と実家の大がかりな整理で出てきた古い資料や写真を使って昔の旅行行程の検証を行っています。最初が1968年8月の九州旅行(熊本城・阿蘇山)、続いて1969年8月の北陸旅行(東尋坊永平寺)、で今回は1971年8月の北海道旅行です。旅行と言ってもこれまでのように家族で風景や建物を見に行った訳ではなく、弟と二人だけで行った人生初の鉄道車両の撮影旅行で、五稜郭機関区を訪問し念願のC62を見てきました。 f:id:himetaka2018:20210512134321j:image大阪から直接青森に行く急行「きたぐに」では函館23:25着になり、中学生にとってはその後の行動が困難になるため断念、午前中に函館に到着出来る東京・上野経由としました。ただこの時期の裏縦貫は半分が非電化で、この非電化区間は風光明媚な旧線をC57・C61・D51等の大型蒸気機関車が大挙して走っていたはずなので、今から思うと勿体ないことをしたものです。また元々の計画では「ニセコ3号」から「利尻」に乗り継いでC62重連とC55も見るつもりでしたが、これも心配性の父親に深夜移動の危険性を指摘されて断念してしまいました。
①当時新幹線は東京-新大阪間のみだったので、姫路から快速電車で新大阪に行った。途中の西明石駅で工事中の新幹線西明石駅の防護壁にいた猫に指鉄砲で「べいん!」とか言って遊んだ覚えがある。
②上野から臨時の夜行急行に乗ったら、当時としては画期的な全車冷房付きの12系客車だったので驚いた。帰りの列車は定期急行の指定券を買っていたが、慌てて時刻表を調べて12系客車使用列車を探して乗変した記憶がある。時刻表には12系客車使用とは記載されていなかったが、寝台やグリーン車が連結されていない全車指定席列車を狙って取った。EF57が牽引していたような気がするので、この列車は「八甲田」と思っていた。
五稜郭駅から五稜郭機関区までは徒歩で往復、暑くて途中の駄菓子屋でジュースを買った記憶がある。機関区事務所で住所と名前を記載してヘルメットを借りたが、私の頭周りが小さいのでメットが固定されず撮影時に邪魔になった。初めて見るC62やD52はただただデッカイという印象だった。五稜郭の駅員さんに姫路から来たと言ったら、「あぁ、シメズね。」と返されて話が通じているのか心配になった。
函館駅に戻ってホームを挟んで並んでいるキハ82系「北斗」とC62牽引「ニセコ」を撮影、「ニセコ」の出発を見送った時に、発車時に鳴らされた汽笛の音の大きさに驚いたことを覚えている。
⑤その後、帰りの青函連絡船を乗換口で待っている時に、函館駅2番ホームに到着した「ニセコ1号」を見た。牽引機はC62 16号機だった。
⑥帰りも目論見通り12系客車の臨時急行に乗った筈であるが、行きほど感動しなかったのか記憶に残っていない。

この旅行で実際に使っていた時刻表が出てきたため、これを使って記憶を検証しました。f:id:himetaka2018:20210528102228j:imageラッキーな事に姫路から帰りの上野着までの乗車列車に印が付けていたため、列車の特定は容易でした。
旅の始まりは姫新線播磨新宮発の客車列車でした。姫新線無煙化は1971年3月24日(姫一のC11は同年の1月中に置き換え)だったので、真新しいDE10が牽引していたはずです。f:id:himetaka2018:20210523162632j:image1971年2月10日の姫路第一機関区の様子で、姫新線用のDE10が見えます。f:id:himetaka2018:20210523164204j:imageこの時はまだ津山機関区のC58は生きていました。なお播但線(=姫路第一機関区)の無煙化は1972年10月1日です。f:id:himetaka2018:20210515163015j:imageまた、京阪神快速電車の113系化は1968年10月(岡山直通車を除く)なので、姫路から新大阪まで乗車したのは113系になります。f:id:himetaka2018:20210523151336j:image当時の状況を正しく知るためにJTBキャンブックスの「111系・113系物語」と鉄道ピクトリアル952(2018年11月)号を参考にして調べました。
まず冷房化の状況ですが、当時は普通車はおろかグリーン車も全て非冷房と思っていました。ところが1970年7月に113系の試作冷房車1編成(TcM'MTsM'MTc)が完成し、1971年夏には全ての新快速用車両が冷房化されたようです。とは言え快速用車両の冷房化は1974年4月〜7月に登場した湖西線用700番台と1977年10月から投入された0'番台になるため、乗車した車両は全て非冷房車で間違いないようです。
なおここに出てくる新快速は、1970年の万博輸送用に大船区(東フナ)から大挙して網干区(大ホシ)に移動した0番代初期車両を使って、万博終了後の1970年10月1日からスカ色のまま京都ー西明石間で運転を開始したもので、1972年3月15日のダイヤ改正で153系に交代後は鳳区(天オト)に移って阪和線の新快速になりました。
次にグリーン車ですが、1971年7月の時点で高槻(大タツ)にはサロ153改造のサロ110が6両と、サロ152改造のサロ112が19両在籍しており、上記試作冷房車のサロ112 14以外は全て非冷房でした。
編成の構成はグリーン車付きが中間部にグリーン車とサハ代用のクハ111 をつないだ8両編成で、グリーン車無しはそれから単純にサロを抜いた7両編成でした。
姫路←Tc1M'MTsTcM'MTc→米原
気になるのは、①の記憶にある新幹線西明石駅工事用壁にいる猫を見たことで、距離的に在来線西明石駅の最も北にある1番線に止まったと思っていたのですが、このホームは外側線(列車線)で須磨駅にはホームがないので停車できません。時刻表にはこの電車の須磨の発着時刻が記載されていることから、ホームを挟んだ電車線である3番線に止まった電車から見たことになります。実際に西明石駅へ見に行くと3番線の姫路寄りのホームであれば新幹線駅はかなり近いことが確認され、ここなら新幹線駅の防護壁に猫が居てもわかると思いました。なおこの電車は西明石に5分間停車していますので、猫と戯れる時間は充分にあったことになります。
初めて乗った新幹線は、転換クロスシートだったことぐらいしか記憶に残っていません。興味なかったんですねぇ。
②の記憶にある列車の切符も出てきました。f:id:himetaka2018:20210512161546j:image時刻表への記載にもあった通り乗ったのは常磐線経由の「十和田53号」で、牽引機はEF80です。多分ですが、上野の構造が複雑で地上ホームに行くのに時間がかかってしまい、牽引機を見に行くヒマがなくなってしまった事、その時に到着した列車の牽引機がEF57だったことで記憶が混じったのではないかと推察します。切符には4号車とあるのでかなり後ろだったことがわかります(何故か東北・常磐線は上り先頭が1号車)。また上野駅が複雑なため弁当を探すのも大変だったのですが、選んで買った100円の駅弁がとっても不味かったことはハッキリ覚えています。この切符が見つかったことで乗車したのが1971年8月23日、この旅行が8/23〜25であることも判明しました。f:id:himetaka2018:20210523185259j:imageさてこの12系客車ですが、波動輸送用と旧型客車の置き換えを目的に製造された冷房と自動扉を備えた新世代の客車で、冷暖房用電源を積んだ事により牽引機を選ばなくなったことが大きな特徴です(多客期には暇になる貨物機で運用できる)。1969年に試作車28両が製造されて宮原区(大ミハ)に配属、1970年には300両が追加され、初期型478両が1971年5月末までに出場しています。f:id:himetaka2018:20210523174513j:image初期の臨時列車ということもあってネットでは編成表を探し当てることが出来ませんでした。鉄道ピクトリアル757(2005年2月)号によると初期の頃はスハフ・オハx4・オハフの6両編成が基本とされており、編成が短いと感じた記憶はないので基本編成2本の12両で構成されていたのではないかと思われます。
f:id:himetaka2018:20210523165039j:image③の記憶にある五稜郭機関区で撮影したC62 3[築]です。f:id:himetaka2018:20210523165259j:image50年前のプリントなので状態は良くありません。まぁ腕もないので構図も無茶苦茶ですが…f:id:himetaka2018:20210523165707j:imageこちらはD52 202[五]で、キャブは密閉式に改造されていません。f:id:himetaka2018:20210529102700j:imageDC改造のビフォーアフター、これはD52 138号機です。f:id:himetaka2018:20210529102455j:imageこの頃は転車台も普通に撮影出来ました。f:id:himetaka2018:20210529103103j:image江差線用のC58 126号機が出区して行きました。f:id:himetaka2018:20210523171137j:image遠方の江差線を走るC58牽引の貨物列車で、撮っている時は認識していても後から写真をみると何を撮ったのかわかりませんでした。f:id:himetaka2018:20210529103604j:imageDE10が見えますが1968年10月に五稜郭操車場の入換用9600を置き換えた奴です。

この時の使用した撮影機材は、この為に買ってもらった旧ソビエトKMZ製のMeproZenit E(MEPRO-KOMINER 55mmF2.8付)と、YashicaFLEX(型式不明)、およびオリンパスペンEEです。f:id:himetaka2018:20210523155259j:imageヤシカは父親が使っていた1953-1955年頃製の6x6判二眼レフで、シャッター速度は1/200までありましたがファインダーの像が逆転しているので動体撮影は難しかったです。f:id:himetaka2018:20210523160654j:imageオリンパスペンはベストセラーのハーフカメラで、1968年の九州旅行でも使っていますが、シャッター速度が1/60固定なのでブレブレ写真の乱造になりました。f:id:himetaka2018:20210523155157j:imageメプロゼニットはオリンパスペンと同価格という超破格値の一眼レフで、外光式露出計と1/500までのシャッター速度を備えたM42スクリューマウントのレンズ交換式一眼レフでしたが、さすが旧ソビエト製で3年使ったらフィルムが巻き取れなくなりました。f:id:himetaka2018:20210528104944j:image後継機は同じM42マウントのPENTAX SP-Fにしましたが、ひょっとしたら3年間の使用期間中にテレプラスくらいは買っており、継続利用するためにマウントを合わせたのかもしれません。f:id:himetaka2018:20210528110906j:imageこのSP-Fはその後21年間使い続けて、1995年8月6日に「C62ニセコ号」をけん引するC62 3号機を雨の中で撮影したのが最後となりました(蘭島-塩谷間)。
f:id:himetaka2018:20210529101902j:image④で写した函館駅2番線ホームで出発を待つC62 3号機牽引の函館本線経由札幌行き急行「ニセコ3号」で、何故かキハ82系室蘭本線経由札幌行き特急「北斗2号」と並んでいる写真はありませんでした(この写真の左側にいます)。

以上の写真で綺麗に発色しているものは、オリンパスペンEEで撮影したフィルムを50年後にプリントしなおした写真で、それ以外は50年前にプリントした写真です。
⑤の補足ですが、絶大な人気のあったC62 2号機は、調子が良くないので補機で使いたいことと、重連の前補で見たいファンへのサービス的な運用側の配慮があって、最後は山線区間で前補機として長万部折り返しで先頭に立ち続けたと言われています。
⑥については、行きの上野駅で買って失敗だった弁当に懲りて、青森駅では吟味しまくった末にちょっと価格が高いけど150円の「鳥そぼろ弁当」を、駅のホームに大八車で商品を並べていた店(?)で買ったと思っており、とても美味しかった記憶が残っています。
姫新線1828レ 播磨高岡09:34→姫路09:41
  播磨新宮発姫路行
京阪神快速762M 姫路10:04→新大阪11:45
  播州赤穂草津グリーン車
特急「ひかり38号」新大阪12:05→東京15:15
急行「十和田53号」上野16:18→青森04:29
青函連絡船33便 青森05:05→函館08:55
☆急行「ニセコ3号」函館14:25発札幌行
☆特急「北斗2号」函館14:20発札幌行
青函連絡船04便 函館17:00→青森20:50
急行「十和田54号」青森21:20→上野09:43
特急「ひかり27号」東京10:20→新大阪13:30
京阪神快速777M 新大阪13:42→姫路15:17
  米原発姫路行 グリーン車
姫新線823レ 姫路15:20→播磨高岡15:26
  姫路発津山行

☆は見学しただけの列車です。帰りの東海道新幹線以降は乗車列車が若干怪しいですが、これで検証は終了です。

この時撮影した50年前のフィルム(35mmx19本、6x6のブローニーx3本)が出てきたのでプリントしました。カメラのキタムラに持って行ったらブローニーは出来ませんと言われ、ビッグカメラに持っていったら納期1週間でブローニーも引き受けてもらいましたが「プリントはL版で良いですか?上下切れますけど」ってお前はどシロートか!!どっちの店もHPにはブローニーも手焼きも可能って書いてあるんですけど……高くてもいいから写真のことをよく知っている写真屋さんを探さんといけません。結局ブローニーはこの記事に間に合わなかったので、出来が良ければ別記事で載せたいと思います。

この時乗車した113系京阪神快速と12系急行「十和田53号」はBトレとNゲージで、函館駅で見た特急「北斗」と急行「ニセコ3号」はNゲージで再現予定です。

いつになることやら…

 

以上