久留米に出かける用事があったので、この機会に太宰府天満宮へ行ってみました。
西鉄久留米から福岡行の電車に乗り、西鉄二日市で太宰府線に乗り換えます。
終点の西鉄太宰府駅で降り、駅前から続いている表参道を歩いて天満宮に向かいます。
この表参道は御多分に洩れず土産物屋通りになっていて、観光客で溢れていました。
かつては行儀が悪いとされた「歩き食べ」がインバウンドの影響で当たり前になり、それまで箱売りだった太宰府名物「梅ヶ枝餅」が歩き食べ用に一個売りを始めて大人気になって表参道は梅ヶ枝餅の店だらけになってしまいました。
その突き当たりにあるのが天満宮の入口で、鳥居を入って左側に心字池があります。
その心字池には3つの橋がかかっていて、右から過去・現在・未来を表していると言われています。
44年前の1979年3月に初めて太宰府天満宮を訪れた時の写真ですが、しっかり手入れされているようであまり変化していません。
さだまさし氏の「飛梅」で彼女が転びそうになった三つ目の橋です。
1977年11月に発表された「案山子」をFMラジオの放送で聞いてさだまさし氏の詩に感銘を受け、同年7月にリリースされていたアルバム「風見鶏」を買って聞いた「飛梅」で太宰府天満宮のことを知り、大学に入学してから行った九州旅行の際に初訪問しました。
もちろん一番好きな詩は、前述の「案山子」のために買った1978年03月発売のアルバム「私歌集(アンソロジィ)」に収められていた「主人公」です。
閑話休題、本殿は124年ぶりの大改修中で、本殿の前に草木の生えた屋根の礼拝所が設けてありました(後ろの青いネットがかかっているのが本殿)。
44年前の本殿です。
人が写っていないのは撮影したのが早朝6時頃だったからですが、当時は昼間でも人出はそれほど多くはなかったと記憶しています。
飛梅(44年前の本殿写真の右端に写っている)はどこいったんやろ〜と思ったら移設されずにちゃんと元の位置に居ましたが、足場に隠れて全く目立ちません。
44年前の飛梅ですが、今よりかなり小さいですねぇ。
幹に布がグルグル巻きにされているので、折れたのかもしれません。
この飛梅は天満宮にあるどの梅よりも早く2月中旬から3月初旬に咲くため、花を見たのは就職する関係で3月頭に行った1982年だけ(それまでの訪問は春休みの3月下旬)でした。
ここから裏庭を通って梅林の方へ行きましたが、ここらへんまでは観光客は来ないのか閑散としていました。
同じく「飛梅」に出てくる「お石茶屋」です。
歌詞では梅ヶ枝餅を二人で一個半食べていますが、残念ながら半個では売っていません。
このお石茶屋は著名人が多数訪れる超有名店らしく、著作家の吉井勇が茶屋に寄ったことを歌った歌碑が立っています。
ちなみに44年前は石碑の前まで行けるように整備されていました。
お石茶屋の裏にあるベンチです。
44年前と比べると真ん中の木が伸びているのがわかりますが、雰囲気はほとんど変わっていません。
小道の下から撮ったお石茶屋で、看板の左に見えるのが旧店舗です。
44年前でも既に手前の旧店舗は使っていなかったようですね。
もちろん梅ヶ枝餅を食べますが、お石茶屋が休店日だったため不老松月本店に寄りました。
旗で宣伝されてた「北海道産小麦100%使用」がこの店を選んだ理由ですが、他の店がどうかは確認していません。
抹茶セットです。
熱くもなく温くもなくの絶妙なお薄で、梅ヶ枝餅の餡もとっても美味しかったです。
お土産用も買いましたが注文受けてから焼くそうで、席を立ってから頼まなくてよかったです。
少し待っていると熱々の包みが出てきました。
この梅ヶ枝餅、11時頃に買って23時過ぎに自宅で食べても充分美味しかったですし、次の日の昼でも皮は固くなっていませんでした。
44年前に博多駅で買った時は、自宅に帰った時にはカチカチになっていた記憶があります(焼き直して食べました)。
裏庭にあった天満宮境内案内図です。
西鉄の太宰府駅に戻ってきました。
右側の小さなバスは太宰府政庁跡を経由して西鉄都府楼駅に行くまほろば号で30分毎に運行、左側の大型バスは福岡空港経由の博多駅行で人気があるのか15分毎に出ていました。
まほろば号に乗って政庁跡を見学し、その後 都府楼駅に行くか ここへ戻ってきて博多行バスに乗るか思案しましたが、雨模様とした天気予報が大外れでカンカン照りになったなかで、天満宮境内をあちこちウロウロして大汗をかいていたので取り敢えず休むことにしました。
西鉄太宰府駅前にある「梅のくら」で、梅を練り込んだピンク色の麺が混ざった紅白うどんを使ったざるうどんをいただきましたが、私の好きな稲庭系の細麺だったので嬉しかったです(写真を撮り忘れました)。
美味しいうどんを食っているうちに政庁跡を訪問する気力がなくなったため、バスよりは速い西鉄で福岡に出て平戸銘菓の牛蒡餅を買いに行きました。
49年前に高校の修学旅行で行った平戸で教師に勧められて買った牛蒡餅の味が忘れられず、1979年3月に弟と佐世保に行った時に探し回ったけど見つけられず、たまたまこの餅を知っていた駅員さんに駅前の百貨店で売っていると教えてもらって手に入れることが出来ました。
続いて1991年9月に嫁と行った時も、佐世保→博多を乗った特急「オランダ村特急」の最前列を陣取って車窓を楽しみながら12年前と同じ百貨店で買った牛蒡餅を食べました。
今回は博多で入手出来ないかと探したところ、天神(西鉄福岡)から地下鉄で一駅先に支店があることがわかり喜び勇んで行きました…が思ったより駅から遠かったこと、前述の如く天気予報が外れてかんかん照りになったこと、認知機能の衰えによって方向を間違えて反対方向へ歩いたことで店に着いた時にはヘロヘロになってしまいました。
店主と話をする余裕も元気もない状態でしたが、それでもなんとかゲットです☺️
店内に座るところはなかったので、駅に戻る途中にあった小さな公園の日陰にあったベンチで暫く休憩して体力を復活させました。
その後、博多土産を買うために地下鉄で博多駅まで戻ってマイング博多駅名店街に行きました。
この名店街はかなり歴史があり、1979年3月に初めて博多駅に来た時にこの名店街で梅ヶ枝餅を買っています(売場は今と違って真ん中辺りにありました)。
当時は地下鉄も地下街もなく、西鉄福岡駅にはバスで往来していました。
以前は「桔梗信玄餅」とそっくりの「筑紫もち」を買っていましたが、今回は「みるく饅頭月化粧」とかなり似ていると言われている博多土産ど定番の「博多通りもん」を買ってみました。
友人へのお土産なので味は分かりませんが、このお菓子を知っている人からはかなりの高評価と聞いています。
また二鶴堂の「博多ぽてと」もかつて紫芋の味に衝撃を覚えた経験から購入しましたが、こちらは普通に美味しいスイートポテトだったそうです。
この二鶴堂は「博多の女」で有名で、羊羹をバームクーヘンで包んだお菓子です。
最後は「呼子の烏賊」です。
以前から食べてみたいと思っていたのですが、呼子まで行くのは時間的に難しい(公共交通機関の運行が乏しい)ため博多で店を探したところ、有名な「河太郎」に博多駅前店があることがわかり、早速予約して訪れました。
その活造りですが、二切れほど食ってから気が付いて写真撮ったのでちょっと貧相になってしまいましたが、刺身が透き通っていることがわかります。
今回は佐賀牛のローストビーフも入った「おすすめコース」をいただいたのですが、グラム売りの活造りもあるようなので烏賊をいっぱい食べたいのならこちらが良いと思われます。
いずれにしろ烏賊がビックリするほど美味しくてとても満足しました。
残すは「城下かれい」で、死ぬ迄には何とかしたいと思っています。
今回は食に走って「ゆふいんの森」や「或る列車」の撮影や筑肥線虹ノ松原ー山本の廃線跡探訪などはやめましたが、機会があれば再訪したいものです。
以上