ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

今さらのBトレ 新幹線シリーズ ⑤ 0系ひかり

整理中のBトレで、買った覚えのないモノも含めてゾロゾロと出てきた新幹線のまとめの続きで、今回は【0系 ひかり】です。f:id:himetaka2018:20201207225606j:image私の世代で新幹線と言えばコレ!の元祖新幹線車両0系で、1964年10月1日の開業から100系の量産車が登場する1986年4月まで38次に渡って製造されました。0番台は増発のために製造されてきましたが、1976年9月からは初期車置き換えのため小窓の1000番台車両の製造が行われました。この時編成組み替え時の予備として全車1000番台車のN編成(N97 - N99)が増備され、27形と36形はこれが最後の製造となったことから、「ひかり」編成で唯一全車両小窓に統一された編成となりました。また1981年12月3日から2000番台が登場、シートピッチが広くなって座席も窓の数も1列減りました。ただ2000番台も0番台の置き換え用なので、座席の数が減ると他の0番台編成と整合性が取れなくなると思うんですが…f:id:himetaka2018:20201207225651j:image1984年頃から頻繁に東京方面へ出張に出るようになり、帰りの新幹線では必ず入線と同時に乗り込んで(当時は20〜30分前には乗車できた)食堂車に並び、そのまま下車する京都まで上司と呑んでいました。迷惑な客ですねぇ〜でも飲み続けていたので利益率は良かったはずです、たぶん。既に「マウント富士」工事(食堂と通路を隔てる壁に、富士山が見えるように窓を設置する工事)は終了していましたが、利用するのは常に夜だったのでカーテンが引かれていたと思います。なお0系食堂車の営業は阪神・淡路大震災の前日、1995年1月16日が最終日です。f:id:himetaka2018:20201130121716j:image製品は2011年発売の「新幹線・0系」で、A・B・Cセット各4両の計12両で25形・26形を2ユニット抜いた編成が再現できます。f:id:himetaka2018:20201204192054j:imageさらにCセット4両を追加すると実車通りの16両編成を組むことが出来るという、Bトレ史上初のフルセットにしても余剰車両が出ない画期的な構成になっています。なおパンタグラフ装備車はカバーの有無が選択できますが、このカバーはJR化後に取り付けられたので、後述の時代設定から今回は使用しません。f:id:himetaka2018:20201206132639j:image製品は全車両が小窓車のため、前述のN編成(N97-N99)に限定されます。また塗装の白色がパールホワイト(白3号)なのでJR東海は1995年以降、JR西日本は1991年以降となります。ところがJR東海に継承されたN97は1991年に大窓車が混じるNH編成に組替え、同じくJR東海のN98は1992年に抹消、JR西日本に引き継がれたN99も1992年にはNH編成に組替えられています(組替え時にパールホワイトに塗替えられたと思われます)。

え〜パールホワイトのN編成って存在しなかった?12両ある製品を全部原色のホワイトアイボリー(クリーム10号)に塗り替えることは考えられないので、この白色はホワイトアイボリーだと信じることにしました。JRマークが一切ないことと後述の禁煙車表示の問題から1984年頃の姿とし、5・6・13・14号車を抜いた12両編成とします。f:id:himetaka2018:20201127202310j:image付属のステッカーからN97編成の車番、博多行の方向幕、座席表示(1-5:自由席/6・7・9-16:指定席)を使います。f:id:himetaka2018:20201206150019j:image座席表示はこの22次車でスリムラインから幕式に変更されましたが、ステッカーでもしっかり表現されています。またペンギンモデルの「アクセサリーシールAS13 東海道・山陽新幹線A」を使って号車番号と禁煙マークを追加します。当初は禁煙の概念もなかったのですが、世論に押される形で1980年10月1日から1号車自由席が禁煙車に、1984年7月25日から2号車自由席も禁煙車になり、1985年4月1日からは10号車指定席と12号車グリーン車の半室が禁煙化されました。この半室禁煙の場合は禁煙側の扉にのみ禁煙マークが貼ってあったと思われるのですが、どっち側が禁煙室だったかの資料が出てこなかった(1982-1990年の時刻表を持っていないことが判明!)ので、時代設定をグリーン車が禁煙になる前の姿、すなわち1984年7月25日〜1985年3月31日としました(ちょっと期間が短いですが)。f:id:himetaka2018:20201206151242j:imageまた禁煙マークの表示方法は、1992年頃までは扉脇窓部に「禁煙席」と文字で書かれたものが使われており、それ以降はピクトグラムに変更されました。f:id:himetaka2018:20201130143700j:image博多方向先頭1号車の21-1003、普通車の自由席で1980年10月1日から禁煙車です。f:id:himetaka2018:20201203010952j:image2号車で普通車の26-1011、自由席で1984年7月25日から禁煙車になりました。f:id:himetaka2018:20201206140016j:image3号車で普通車・自由席の25-1004です。f:id:himetaka2018:20201206140100j:image4号車で普通車・自由席の26-1203です。f:id:himetaka2018:20201205193701j:image7号車で普通車の27-1001です。36形の機器の一部を搭載して36形とペアを組み、車椅子対応設備を備えています。f:id:himetaka2018:20201205193715j:image8号車で側廊下式全室食堂車の36-1001です。機器の一部を27形に振り分けて搭載しているため、必ず27形とペアを組みます。博多開業で登場した食堂車は1974年の17次車以降21次車まで製造され、置換え用となった22次車以降では予備のN編成3両が製造されただけです。f:id:himetaka2018:20201203011027j:image9号車で普通席とビュフェを併設する37-1013です。36形の投入でビュフェに車販基地の機能を設け、車いす対応席を設置しました。22次車より35形に代えて投入されたため、大窓車は存在しません。f:id:himetaka2018:20201206140204j:image10号車で普通車の26-1205です。指定席で1985年4月1日から禁煙車になりました。f:id:himetaka2018:20201205193804j:image11号車でグリーン車の15-1002です。乗降口が博多方の1箇所だけです。f:id:himetaka2018:20201203011102j:image12号車でグリーン車の16-1002です。15形と違って客用乗降扉が車両の両端の2箇所に設置されています。1985年4月1日から半室が禁煙になりました。f:id:himetaka2018:20201206140258j:image15号車で普通車・指定席の25-1006です。f:id:himetaka2018:20201205193836j:image東京方面先頭16号車の22-1003で、指定席の普通車です。ヘッドライト部にシールを貼ってテールライトにしました。f:id:himetaka2018:20201208002710j:image余談ですが、禁煙車の調査中に見つけた来春KATOから発売予定の「0系 2000番台 新幹線 ひかり・こだま」のホームページで、1985年4月~1986年3月ごろの2000番台車によるオール小窓編成が紹介されていました。勿論こんな編成が実在した訳もなく、1988年4月頃のNH61編成をベースに、3両しか無い小窓の27形と36形を最後まで編成分解されず1992年11月に廃車となったN98編成から分捕ってきて組まれていました。今までKATOの編成例って結構信じていただけに、ショック大です。

さて、最後は700系のぞみです。

 

以上