ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

2013年春と2017年秋の肥薩線・豊肥本線

マイクロエースから発売された「はやとの風」と「いさぶろう・しんぺい」を整備したのを機に思い出した、2013年5月と2017年10月の肥薩線縦断旅行を振り返ります。f:id:himetaka2018:20201211152826j:image写真は模型整備時に掲載した「はやとの風2号」(2017年10月20日 大隅横川駅)で、これで鹿児島中央から嘉例川駅大隅横川駅を経由して吉松に行きました。f:id:himetaka2018:20201229214834j:image吉松駅では時間待ちの間に、駅前のC55 52を見学しています。f:id:himetaka2018:20201211153243j:image吉松から「しんぺい2号」(2017年10月20日 真幸駅)で、各駅と日本三大車窓を経由して人吉に行きます。吉松を出発して4つ目のトンネルが、1945年8月に肥薩線列車退行事故を起こした山神第二トンネルで、古いトンネルのため内部の幅が一定でなく急激に狭くなる部分があり、窓に顔を貼り付けていると結構迫力があります。f:id:himetaka2018:20201211153621j:imageスイッチバックして高度を稼いだ本線上から真幸駅を俯瞰します。ホームの上には1972年7月の山津波後に設置された幸せの鐘が見えます(残念ながら山津波記念石は写っていません)。f:id:himetaka2018:20201215162022j:imageSL終焉時代の真幸駅には廃車された蒸気機関車が駐留されており、1970年9月の鹿児島本線全線電化後にはC60 28とD51が、1972年4月の肥薩線の山線無煙化後にはD51 687とD51 890が置いてありました。「広報えびの 2009年12月号」には、廃車回送でC60とD51を引いて真幸駅を発車する38633の写真と、土砂に埋もれた2両のD51が写っている山津波直後の真幸駅の写真が掲載されています(えびの市役所ホームページから見ることができます)。f:id:himetaka2018:20201210132057j:image矢岳駅前の人吉市SL展示館にはこの区間で使用されていたD51 170が展示されています。このカマは戦後直ぐの1945年11月に人吉に来て、重油併燃装置(罐胴上とランボード上に重油タンク設置)とエアシリンダ式の鹿児島工場式大型集煙装置を装備され、1972年6月に廃車されるまで矢岳越えに活躍しました。f:id:himetaka2018:20201230141314j:imageこのSL展示館は1993年9月に初めて訪問しましたが、矢岳駅で急行「えびの」から降りたのは我々だけで、展示館の入口はシャッターが降りていて案内も人影もなく、えぇんかな〜と思いながら勝手にシャッターを開けて中に入って見学しました。f:id:himetaka2018:20201210141229j:imageこのSL展示館にはSL人吉(2013年5月1日 人吉駅)で活躍する58654も静態保存されていました。この58654は1968年6月に人吉に来て1975年3月に廃車されるまで湯前線で使用されていました。f:id:himetaka2018:20201210181713j:image1988年8月からボイラーと走り装置を作り直しSLあそBOYとして豊肥本線の急勾配区間を含む熊本–宮地間で走行を開始しました。1991年9月6日に熊本–宮地間を乗車しました(写真は宮地駅にて撮影、水戸岡デザインが入る前の原形)が、当時は機関車に興味を持つ人が少なく、熊本駅で写真を撮ったのは私達夫婦だけで、運転士席に座らせてもらった上、カマの中まで見せていただきました。f:id:himetaka2018:20201213014648j:image見所である立野のスイッチバックも当時は何の案内もなく展望室で待っていたのは我々だけでしたが、なぜかこのタイミングでビンゴ大会が開催されスイッチバックを見ない方々で展望室が満員になってしまうという不思議な現象が起こりました。f:id:himetaka2018:20201230132047j:imageまた1993年9月にも乗りに行ったのですが、大雨の影響で豊肥本線が運休となり乗車できず、次の日に高千穂峡を見た帰りに撮影しました(赤水–立野、水戸岡デザイン後の姿)。f:id:himetaka2018:20201230132110j:image2005年に台枠が歪んでいることが発覚して使用停止、そのまま静態保存に戻るところを奇跡的に製造時の図面が発見され、九州新幹線開業の祝儀もあって台枠を作り替えて復元!SL人吉として肥薩線の川線区間で大切に使われています。ボイラーも台枠を含む足回りも全部作り直したので製造当時の部品は何もありませんが、大正生まれと称されています。f:id:himetaka2018:20201213164314j:imageまぁ京都鉄道博物館にいる、理由もなくいつのまにか後期型のキャブになっちゃったバリバリ前期型ナンバーの8630と称しているカマよりはマシですが(梅小路蒸気機関車館にて撮影日時不明)。f:id:himetaka2018:20201210150025j:imageさて人吉で昼食を取り、人吉鉄道ミュージアムMOZOCAステーション868を見学してから「SL人吉」(2017年10月20日 一勝地駅)に乗って熊本に出ました。f:id:himetaka2018:20201213221850j:image白石駅JR九州が量産しているコイルバネ特急のタネ車であるキハ40と交換します。f:id:himetaka2018:20201213224305j:imageこの停車時間を利用してSL人吉の50系客車700番台を撮影しました。SLあそBOYの頃からは大幅に改装されています。f:id:himetaka2018:20201210152409j:image鎌瀬駅の手前で有名撮影地(お立ち台)である球磨川第一橋梁を渡ります(2017年10月20日SL人吉から撮影)が、令和2年7月豪雨により流失して跡形も無くなってしまいました。f:id:himetaka2018:20201211164055j:imageその後、坂本駅ではコイルバネ特急の「うみせみ・やませみ」と交換しました。f:id:himetaka2018:20201214002035j:image2017年10月20日時点で熊本駅は高架工事の真最中でした。f:id:himetaka2018:20201210162329j:image2013年に訪問した時は熊本からキハ183系1000番台の「あそぼーい!」で立野へ行きました(2013年5月2日 熊本駅)。f:id:himetaka2018:20201211001901j:imageこのキハ183系1000番台は、1988年3月にオランダ村特急(1991年9月7日 佐世保駅)でデビューしたあと、ゆふいんの森二世(1994年11月7日 豊後森駅)→シーボルトゆふDXと名前も容姿も変えながら32年以上も活躍しています。f:id:himetaka2018:20201230133808j:imageジョイフルトレインをせっせと作ってはホイホイ廃車にしたJR北海道とはエライ違いです。なおこのキハ183 1000番台は世界初のEC-DC動力協調運転を行なっています。f:id:himetaka2018:20201210234900j:image立野から南阿蘇鉄道(高森駅で2013年5月2日に撮影)に乗り、高森湧水トンネル公園へ行きました(高森町HPから転載)。f:id:himetaka2018:20201211003913j:imageこの公園は高森–高千穂間を結ぶためのトンネルを掘削中に地下水脈に当たり、トンネルは多量出水するわ町内は大規模断水するわで工事中止・破棄された高森トンネルを利用したもので、アプローチ部分は完全に鉄道トンネルのそれです。f:id:himetaka2018:20201212214639j:imageまた2017年に訪れた時は熊本港から高速船で島原に渡り、島原鉄道に乗りました(2017年10月21日 島原外港)。2008年4月1日に島原外港加津佐間が廃止されましたが、写真左手奥が廃線方向になります。1981年に諫早口之津を、雲仙普賢岳の噴火が落ち着いた1994年11月9日に口之津諫早を乗車して天草と行き来しています(島原外港は2019年10月1日に島原港に改称)。

オランダ村特急」はかなり以前にマイクロエースの初期製品を購入、吉松のC55と人吉のD51重装備も模型化を考えていますが、いつになることやら…

 

以上