京阪電車の車両を数編成購入していたので組み立てました。
今回は1997年10月12日に昇圧・京都市営地下鉄東西線への直通運転開始される以前の京津線で活躍した車両達です。
なお京阪電車では1986年に型→形に変更したので、1986年以降も製造された車両は「形」標記にしています。
1983年頃に京津線と石山坂本線で撮影していますが、80型以外は600形・700形に改造前の姿で、80型も冷房改造されていません(上の写真は三条通りで東山駅から山科方を向いて撮影したと思われます)。
蹴上を通過する準急三条(1987年4月1日に京津三条に改称、1997年10月12日廃止)行の260型277+278編成で、1986年4月22日に600形2次車の609+610に改造されました。
画面右端から専用軌道に入り、大日山を越えるために66.7‰の最急勾配が始まります。
九条山から66.7‰の急坂を下ってくる260型275+256編成で、1986年7月に600形2次車の611+612に改造されました。
ちなみに九条山駅は地下鉄化時に唯一代替駅が設置されず、民事訴訟に発展するも住民側が敗訴してバスに転換されました。
京阪山科駅に進入する準急三条行の500型503+504編成で、1993年2月に700形の707+708に改造されました。
浜大津駅(2018年3月17日にびわ湖浜大津駅に改称)を出発する坂本(2018年3月17日に坂本比叡山口に改称)行の300型301+302編成で、1984年10月に600形1次車の607+608に改造されました。
写真左右方向が国道161号線(2018年4月1日に滋賀県に移管されて県道558号線に編入)で、手前に見えるのが京津線の線路、車両の向こう側辺りに1981年4月12日に廃止された旧京津線浜大津駅がありました。
別所駅(2018年3月17日に大津市役所前駅に改称)に進入する坂本行の300型307+308編成で、1984年4月に最初の600形である601+602に改造されました。
左手に見える建物が1967年3月6日に竣工した大津市役所です。
蹴上駅を通過していく準急浜大津行の80型ファーストナンバー81+82編成ですが、1983年当時にも80型による準急運用があった事を39年間気がつきませんでした(乗客が準急/普通を車体色で判別したらしく、誤乗車が頻発したため極力準急運用には本形式を充当しなかった筈)。
山から降りてきて蹴上駅に入ろうとする三条行の80型87+88編成。
画面左端のゼブラマークが蹴上駅の東端になります。
昨日(2022年7月25日)京都に行ったついでに、帰りに大回りして京阪山科駅とびわ湖浜大津駅を見てきました。
京阪山科駅に進入する太秦天神川行の800系809編成、駅はあまり変わっていないようですが背景に大きな建造物が多数建ちました。
びわ湖浜大津駅を出発する坂本比叡山口行の600形601+602で、上の同じ場所で撮影した車両の39年後の姿です。
山科駅と同じく背景が激変しており、いずれの写真にも写っている幅の広い架線柱の右側に旧京津線浜大津駅があり、上の写真左手から左にカーブして入線していました。
【600形】
大津線の高性能・冷房化を目的に、300型と260型の車体を改造して1988年までに2両編成x10本の計20両が製造され、1次車(601 - 608)には300型・2次車と3次車(609 - 620)には260型の車体が流用されました。
なおwiki等では1-4次に分類されていますが、ここではBトレの説明書と同じく妻板の形状で1次車(丸妻:601-608)・2次車( 張上:609-614)・3次車(切妻:615-620)に分類します。
営業開始は1984年4月からで当初は京津線の準急にも使用、1997年10月12日以降は石山坂本線でのみの運用になっています。
この600形は、以前に2015年8月6日発売の標準色+特急色2両セットを使って1次車を整備しています。
この時パンタグラフにKATO製のPS16A(標準色)とPS16B(特急色)を使いましたが、その後グリーンマックスからPT42N(2次車)が発売されている事を知ったのでコレに交換します。
今回は2012年11月8日発売の標準色(旧塗装)2両セットを使って2次車と3次車を整備しました。
奇数車にはアンテナ付きの屋根板を使い、wikiに記載されている通りにアンテナ部の下を欠き取って前面を取り付けます。
2次車は611+612で浜大津行、3次車は617+618の三条行として、奇数車と偶数車で行先を変えた1次車と違って編成で行先を統一し、1次車用のシールも使って側面の方向幕と標識灯(浜大津行の奇数車と三条行の偶数車に赤色)のシールを貼ります。
なお本製品は2015年版と違って標識灯が白色に塗装されていたため、白色のシールは使っていません。
なお奇数車は頑丈なアンテナが付いているので、パンタグラフに当たって曲がってしまいました。
またシンボルマークが新しくなったのは2008年なので、正面に旧Clマークと側面に社章を貼ります。
説明書には北面の位置しか記載されていなかったのでネットで南面の写真を探していたところ、編成右側の社章の位置が説明書と異なっていることに気が付いたので修正しました。
手前が2次車で向こう側が3次車です。
この社章位置は1次車も修正しましたが、ついでに奇数車と偶数車で違っていた方向幕を坂本行に統一して側面にも貼り付け、偶数車の標識灯を赤色に変更しました。
【700形】
昇圧に備えた最新機器を備えた複電圧車として、350型と500型の車体を改造して1993年5月までに2両編成x5本の計10両が製造されました。
営業開始は1992年5月1日からで当初は京津線の準急にも使用、600形と同様に1997年10月12日以降は石山坂本線でのみの運用になっています。
製品は2015年11月5日発売の標準色(旧塗装)で、前面パーツ以外は600形3次車と共通となっていて、600形と違って選択パーツがなく、余剰パーツはひとつも出ません。
車番は703+704の石山寺行とし、パンタグラフはGM5803 PT42Nを使い、旧CIマークを前面・社章を側面に貼り付けます。
こちらも編成で行先を統一し、奇数車は赤色・偶数車は白色の標識灯を、側面の方向幕も600形の余剰シールを利用して貼り付けます。
この700形では社章の取付位置が正しく修正されており、最初から奇数車のアンテナ部も欠き取られています。
【80型】
1961年8月より1970年10月までに京津線の各駅停車用として、81-93の13両が両運転台式、94-96の3両が片運転台式の計16両が製造されました。
当初はポール集電車として製造されたが1970年8月23日にパンタグラフへ変更、また1970年7月から1972年1月にかけて両運転台車である81-93の片運転台化を実施、続いて前面中央窓をHゴム固定支持に改造し偶数車のパンタグラフを運転台寄りに移設、1981年4月の浜大津駅統合に伴って方向転換を実施しています。
その後標識灯部分の小改造・客用扉の交換・ワイパーの電動化を経て1989年より冷房化改造工事が開始され、それに伴って前面右側窓上に「K」を象ったエンブレムを取り付けて車番を左側窓上に移しました。
1997年10月12日の昇圧・京都市営地下鉄東西線乗入れで用途がなくなり全車廃車されました。
製品は2015年10月24日に京阪電車でのみ発売された後期冷房改造車の2両セットで、京阪電車の通販で入手しました。
連結側が丸妻なので81-92の元両運タイプになります。
パンタグラフがBトレ方式ではなくNゲージで主流の脚部で取り付ける方式になっており、これなら簡単にTomix製0250 PT-4212-Sが取り付くと思いきやピッチが全く合わず、慌てて他メーカーのモノも入れて試しましたが全てNGでした。
なんでやねん!バンダイには「互換性」と言う概念がないんかい!
と嘆いていても仕方がないので、試しに余剰の屋根パーツを使ってパンタグラフ台座を削ってみました。
車体切断用のニッパーでちょん切ったあとデザインナイフで残った部分を削り取りますが、屋根板のカーブのお蔭か周りを傷つけることなく削除出来ました。
削り取った跡に市販のパンタグラフ台座を再設置する目論見でしたが、大きさが全く違う!ことがわかり当てが外れてしまいました(80型の方が4倍以上大きい)。
簡単にはイカンのね…とっとと終わらせる筈が「続きます」になってしまいました。