ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

京阪電車 京阪本線の車両① 昇圧直前の姿

先日乗車した京阪電車8000系に刺激されて京阪本線の電車を整備する事にしました。
f:id:himetaka2018:20220912215453j:imageといっても昇圧前しか知らないので、6000系以前のザ・昭和の車両ばっかりです。
f:id:himetaka2018:20220908124622j:image1983年秋にたった一回だけですが京阪本線の車両を撮影に行っており、この直後の12月に昇圧されるのですが、多分そんな事は全く知らずに撮影したと思われます。
この時の写真が出てきたので、今回はこれを整理しました。
f:id:himetaka2018:20220908124640j:image車窓で見て撮影場所として良さそうと思い、石清水八幡宮駅から歩いて行った八幡市淀川三川合流域にて撮影しましたが、先日乗車した時に見たら京滋バイパスができたためにこの風景を撮影する事は出来なくなっていました。
f:id:himetaka2018:20220913161730j:imageこの3月から投入されたばかりでピッカピカの6000系、複電圧車は4連x5編成が製造されました。
f:id:himetaka2018:20220913161755j:image元1810系1812の1902号機を先頭にした淀屋橋行普通です。
元1810系からの編入車にはシルヘッダーが付いていてバンパーがありませんが、1985年からの冷房化・更新工事で1914を除いて中間電動車に改造されたため、シルヘッダー付きでバンパーなしの先頭車はなくなってしまいました。
f:id:himetaka2018:20220913161817j:image1900系として新製された車両はノーシルノーヘッダーで先頭車にはバンパーがついています。
f:id:himetaka2018:20220913161949j:image淀屋橋行普通の1900系、最後尾は元1810系1819の1909号機です。
撮影したのは橋本ー枚方市間のどっかの駅前の踏切で、駅の移設工事をやっていました。
f:id:himetaka2018:20220908124704j:imageその後、枚方市駅まで行って淀屋橋から来た2200系2222号機を撮影しました。
2200系の更新工事は1984年以降なので未だ行先板を掲げており、またこの編成は2011年8月31日に廃車されています。
f:id:himetaka2018:20220913162002j:image枚方市駅から交野線に乗って移動し途中の築堤を走る二代目600系の私市行を撮影しました。
この二代目600系は、1960年台前半に通勤混雑緩和のために新製した車体に初代600系の機器を使って更新したもので、車体形状は当時最新の2000系の卵型ではなく、搭載する機器に合わせて1650形を全金属にした形をしています。
二代目1800系に車体を提供した14両を除く39両全てが、昇圧で廃車されました。
f:id:himetaka2018:20220912163210j:imageこちらは二代目1800系1801F編成による私市行です。
この二代目1800系は、昇圧に対応するために上述の二代目600系の車体と初代1800系の機器を使って製作したものです。
このうち制御電動車の1800形には1650形の車体を流用した二代目600系630形を使ったため、先頭車はシルヘッダー付きで中間車はノーシルノーヘッダーの編成になっています。
外観上は、前照灯がシールドビーム2灯式に変更、妻面の貫通扉には行先表示器・種別表示器を設置、車掌台側の妻窓は2段上昇式のサッシ窓からHゴム支持による固定窓へ変更されています。
最後まで残った非冷房車でしたが、1989年2月までに6000系に置き換えられて消滅しました。
f:id:himetaka2018:20220912164611j:image萱島駅付近まで行って撮影した複々線の風景、粘って4列車走行シーンを撮りました。
f:id:himetaka2018:20220912171453j:image三条に戻る途中の中書島宇治線2600系2627Fの2814号機を撮りました。
この編成は2002年4月22日に廃車されました。
f:id:himetaka2018:20220913150924j:image同じく6000系も撮影しています。
これまでの京阪電車のイメージを覆すデザインです。
f:id:himetaka2018:20220912171740j:image地上線だった頃の七条付近、遠くに七条大橋七条駅が見えます。
f:id:himetaka2018:20220913170605j:imageこの辺りから鴨川沿いに三条まで走ります(右手に見えるのは塩小路橋)。
新旧の特急車両がすれ違っています。
f:id:himetaka2018:20220912171728j:image特急車両の初代3000系による淀屋橋発三条行の特急で、第一編成です。
本数が少なかったのか好きでなかったのか分かりませんが、初代3000系の写真は殆どありません。
f:id:himetaka2018:20220912171725j:image地上駅時代の五条駅五条通りですが、写真の淀屋橋行きホームは1年前の1982年10月23日に五条通り北側から移設されたものです。
この3年半後の1987年5月24日に地下駅化され、さらにその1年後の1988年5月10日には線路跡に川端通が開通して地上線は跡形もなく無くなってしまいました。
f:id:himetaka2018:20220913170716j:imageその五条駅に到着する淀屋橋行き2600系普通電車で、手前の三条行きホーム側に「清水寺 1400M」の案内板が見えます。
この踏切の警報機は最後まで機械式だったので、カンカンと乾いた音(ファンファンと言う電子音ではない)がした上、鳴り終わりはだんだん低音になってヘニャっと終わっていました。
f:id:himetaka2018:20220908124738j:image地上駅だった頃の三条駅4番線に入線する宇治発の1300系1309号機、戦後直ぐに両運として製造された1300系も、この12月の昇圧で廃車されました。
写真左に写っているのは2600系2839号、ホームの突き当たりにある窓の向こうに見えるのは鴨川です。
f:id:himetaka2018:20220908124817j:imageそもそも三条駅は鴨川と大和大路の狭い間に設置されたこともあり、京阪本線のホームは鴨川と琵琶湖疎水を隔てる堤防上に設けられ、この4番ホームは鴨川の河川敷内に張り出すように作られていました。
f:id:himetaka2018:20220913092414j:image同じく4番線に入線する宇治発の二代目1800系1803号機です。
f:id:himetaka2018:20220913092742j:image理由は分かりませんが撮影場所は4番線に固定していたようで、出発して行く宇治行の二代目600系621号機です。
f:id:himetaka2018:20220913154729j:imageこの頃の三条駅舎はこの年(1983年)の1月29日に高山彦九郎像を移設して建てた仮駅舎になっていました。
この時は改札内京津線ホームもありましたが、1987年の地下化の際に京津線の停留場は京津三条駅として分離されました。
なおパソコンで見たら写真が暗かったので、何枚かは強制的に明るくしてみました。

以上