ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

2024年夏の北海道②道の駅あびらD51ステーション

f:id:himetaka2018:20240817161652j:image昨年から4年ぶりに再開した夏の北海道旅行の2日目で、苫小牧に泊まったあと国道234号線を北上して勇払郡安平町にある「道の駅あびら D51ステーション」に寄りました。

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f:id:himetaka2018:20240713023746j:imageここは北海道胆振東部地震で被災した安平町の復興のシンボルとなる道の駅として2019年4月に開業し、同時にそれまで追分駅前にあった安平町鉄道資料館とD51 320も移設されました。
f:id:himetaka2018:20240715150733j:imageこのD51 320は1972年12月18日に小樽築港から追分にやってきて1976年1月17日付で廃車された機関車ですが、蒸気機関車終焉直前には既に火を落としていて最後まで稼働していた6両には入りませんでした。
f:id:himetaka2018:20240715194613j:image本来はそのまま解体されて屑鉄になるハズだったのですが、当時蒸気機関車が一斉に廃車されたのでなかなか解体の順番が回ってこないで残っていた事(写真は小樽築港で解体を待つ廃車体群)、そして解体予定だったので追分機関庫内に置かれてなかったため機関庫火災の被害に合わなかった事が幸いして焼失したD51 241の代用保存機関車に選定され運命が大きく変わることになりました。
f:id:himetaka2018:20240715175253j:imageただ文化庁指導のもとに「炭鉄港」の構成文化財の1つとして日本遺産に認定されるなど、SL終焉の地というSLファンの聖地的な扱いはされていませんでした。
f:id:himetaka2018:20240721020526j:image日本の現役蒸気機関車が営業運転で本線を走った最後の日である1975年12月24日に夕張線でセキを牽引したのは順にA16仕業の1086号機、A10仕業の465号機、変A6仕業の603号機、そして最後となるA17仕業の241号機で全車保存される事が決まっていました。
f:id:himetaka2018:20240818124724j:imagef:id:himetaka2018:20240818125713j:image残念ながら4両とも1976年4月13日の火災で追分機関庫と一緒に丸焼けになってしまい解体されてしまいました。
f:id:himetaka2018:20240721030636j:imageその中で603号機だけは焼け残った前頭部がJR山陰本線嵯峨嵐山駅に隣接する19世紀ホールに展示されています。
f:id:himetaka2018:20240818132129j:imageこの603号機は被災後に大阪にある共永興業という鐵工所が保管し、2001年8月頃にJR嵯峨野駅前に展示されました。
この会社の先代社長がSLファンで他にも色々入手して公開展示していましたが、そんな事には全く興味がない二代目になってお蔵入りするも経営が怪しくなってC12-38を東海汽缶へ売却、まだC57-148は残っているようですが先行き不透明の状態です。
f:id:himetaka2018:20240721022809j:imageこの機関車な煙室扉ハンドル(正面真ん中にあるハンドル)が最後の蒸気機関車である241号機の遺品ではないかというのはSLファンの間では有名な話です。
f:id:himetaka2018:20240721024214j:imageこれは603号機が1975年10月3日に苗穂工場を蒸気機関車最終修繕車として出場、それを記念して大宮工場製と思われる砲金製の十字型煙室扉ハンドルを装着されました。
f:id:himetaka2018:20240721025817j:imageこの砲金製十字型煙室扉ハンドルはとても目立つので、日本の蒸気機関車の最後を締めくくる241号機に装着して花道を飾ろうと最終運行日の前夜辺りに603号機と交換したため、現在の603号機に付いているのは元々241号機で使っていた物だという理屈です。
f:id:himetaka2018:20240721031759j:imageなお241号機が603号機と交換して最終日に付けていた砲金製十字型煙室扉ハンドルは、この「道の駅あびらD51ステーション」に展示されている320号機に取り付けられています。
f:id:himetaka2018:20240713023743j:imageキハ183形でスラントノーズを持つ基本番台車の214号機も展示されています。
f:id:himetaka2018:20240817102208j:image「追分に特急列車が停まるようになった石勝線開通時に登場したキハ183系を展示」と説明されていて確かにその通りなのですが、この214号機は石北本線を走った特急「オホーツク」に使われていたので追分は走ってないはず…と思うのはテツの悪い癖でしょうか。
f:id:himetaka2018:20240817105818j:imageキハ183系は1961年10月以来北海道の特急として使用されてきたキハ82系を置き換えるために、1981年10月から基本番台車が、1986年11月からモデルチェンジ車が投入された北海道専用の特急用気動車です。
f:id:himetaka2018:20240817103843j:imageこのキハ183-214は1982年9月17日にキハ183-14として製造、1993年11月に駆動系出力増強改造しキハ183-214に改番されオホーツク色に塗装変更、1996年7月に業務用室を車販準備室に改造して行先表示器を客室部分へ移設、2018年3月31日に廃車されクラウドファンディングで当地に保存されることになり国鉄標準色に戻されました。
f:id:himetaka2018:20240817110210j:image塗装が痛んでいるのが気になるところですが、近々修復されるような噂を聞きました。
f:id:himetaka2018:20240817085639j:imageこの「道の駅あびらD51ステーション」はその名の通り道の駅なのでフードコートがありますが、あまり力を入れているとは思えない感じでした。
f:id:himetaka2018:20240817085429j:imageカツカレーを注文しましたが、テイクアウトと兼用になっているようでコンビニ弁当と大差ありませんでした。
その後、追分町ICから道東自動車道道央自動車道を通って大沼公園ICまで移動しました。

続きます。

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