ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

1979年8月の北海道旅行 前半

家を整理して出てきた写真や記録から検証している過去旅ですが、小学5年生の九州/中学2年生の北海道に続いて大学生時代に弟と二人で行った北海道を検証します。1979年〜1982年の夏休みに北海道へ3回と東北に1回行った事は覚えていますが、学生時代の旅行として記憶がひとまとめになってしまい、永らく「いつ・どこにいった」のかわからなくなっていました。f:id:himetaka2018:20210531200029j:imageところが2020年の正月に1979年8月の旅程の記録を発見し、1979年に北海道のどこへ行ったかが明らかになりました。f:id:himetaka2018:20210531200244j:imageまた今回の大規模整理中に1980年8月に乗車した急行「八甲田59号」の切符が出てきました。いろいろと驚きと謎が残るシロモノですが、その辺りは後に検証するとして1980年は東北に、そして残りの1981年と1982年は北海道に行ったことが確定しました。更に整理を進めるうち1979年と1981年のネガシートも出てきたので全部プリントし直してみました。残念ながら1971年のブローニーフィルムと違って35mmカラーネガフィルムの劣化はかなり進んでいるようです。

今回は旅程がはっきりしている1979年8月の旅行を振り返ります。f:id:himetaka2018:20210625004535j:image1979年8月28日に出発していますが、姫新線播磨高岡から大阪までは記載がありません。姫新線の欄にキハ20+キハ20と書いてあるので播磨新宮か上月発の区間列車と推察、当時の時刻表から播磨高岡17:14発の上月発姫路行862Dが該当すると思われ、姫路で17:43発の網干米原行846Mに乗り換えると大阪に19:24着です。この846Mは網干米原行のグリーン車非連結編成だったので網干区所属車と思われます。大阪駅で「きたぐに」の発車まで3時間近くありますが、862Dより後に到着する姫新線の列車は全て客車列車であること、急行「きたぐに」は3号車(自由席)に乗車したと記載があり席取りのために並んだと考えられることから、3時間という接続時間は長くないと思われます。この頃はまだ鉄道輸送がメインだったため、長距離急行は通常期でも1時間(多客時は4-5時間)は並ぶのが当たり前でした。
この急行「きたぐに」は7種類の機関車が牽引します。f:id:himetaka2018:20210616202347j:imageまず大阪→米原間は米原機関区のEF58です(大阪駅で撮影)。この時は原形小窓機のEF58 79号機でしたが、この写真では79号機の特徴である米原区特有のワイパーカバーも増設されたヘッドマーク取付座もP形特有のにぎやかな前端バリもわかり難いです。f:id:himetaka2018:20210629100223j:image米原で同じ米原機関区のDE10に交代します。SG非搭載の500番台で放熱器上部に撒水機構のない初期型の517号機です(米原駅で撮影)。SGがないので当然暖房は入りませんが、たったの6分間なので必要ないという事だったのでしょうか。この中継は北陸本線坂田-田村間のデッドセクションを、直流電気機関車と交流電気機関車だけで乗り越えるための手段で、交直流電気機関車であるEF81が投入される1983年まで続きました。f:id:himetaka2018:20210629100257j:image田村で敦賀第二機関区所属のEF70に交代します。1974年の湖西線開業を機にそれまで金沢以北で運用されていたEF81が南進したため、旅行に行った前年の10月に1次型は全滅しており、この2次型も風前の灯火状態でした。f:id:himetaka2018:20210629100328j:image富山で富山第二機関区所属のEF81に交代します。正面通風孔付き・内バメ式標識灯・切文字ナンバープレートの初期型である5号機です。ここから秋田までEF81が牽引しますが、寝台車を切り離す新潟で坂田区所属機と替わるようです。
この後秋田でED75 700番台と交代しましたが、なぜか写真はありません。青森に向かう途中に矢立峠があり、非電化時代に補機付きで登っていた旧線跡らしきものをあちこちでみかけた気がします。
青森駅では連絡船に乗ったことのある方なら誰でも経験している「連絡船ダッシュ」して青函連絡船の二等椅子席(自由席)に乗り、函館駅でもダッシュして急行「すずらん5号」の自由席を確保しました。ただ流石に夏休み終盤で乗車率は20〜30%だったような気がします。この時期既に暖房が入っており、二重窓の存在を知らない他の旅行客の分まで二重窓を降した覚えがあります。
なお急行「すずらん5・6号」の編成は以下で、5号車が普通車の指定席、4号車がグリーン車の指定席でした。
札幌←DD51+⑨スハフ44+⑧スハ45+⑦スハ45+⑥スハ45+❺スハ45+❹スロ54+③オロネ10+②スハネ16+①オハネフ12→函館
姫新線862D 播磨高岡17:14→姫路17:20
京阪神快速846M 姫路17:43→大阪19:24
急行「きたぐに」大阪22:10→青森17:10
青函連絡船27便 青森19:25→函館23:15
急行「すずらん5号」函館23:40→札幌06:08

札幌でキハ82系特急「オホーツク」に乗り換えました。当時渡道は連絡船がメインだったため特急は函館発着が基本でしたが、「オホーツク」は唯一函館に行かない特急列車でした。この頃はキハ181系以外の全ての気動車のエンジンがDMH17系だった時代で、何処へ行っても何に乗ってもDMH17サウンドに揺られたものでした。f:id:himetaka2018:20210616210146j:image遠軽で網走発函館行特急「おおとり」と交替します。どちらも1日1往復の選ばれし特急列車ですが、特急列車大衆化が進みいずれも1978年10月改正から自由席が設定されました。なお「オホーツク」は札幌運転区(札サウ)の7両編成で「おおとり」は函館区(函ハコ)所属の7両編成で運行されていました。f:id:himetaka2018:20210616210222j:image遠軽で「オホーツク」から名寄線の628Dに乗り換えます(遠軽駅に停車中の628D)。キハ22標準色+首都圏色の2両編成で1両は名寄本線を3時間43分走って終点名寄まで行き、もう1両は興部で別れて興浜南線の雄武まで行きます。f:id:himetaka2018:20210616210430j:image中湧別で628Dを降り、湧網線の網走行925Dに乗り換えます。こちらはキハ22標準色の単行で終点網走まで2時間以上走りますが、私達の座ったボックス席に他の乗客が座った記憶がないのでガラガラだったのでしょう。f:id:himetaka2018:20210626142442j:image2016年7月12日に中湧別駅跡を訪れており、この写真中央に写っている車掌車のホームを挟んで向こう側の線路にかつてキハ22が停車していました。f:id:himetaka2018:20210624122443j:image計呂地付近を走行中の揺れる車内から200mm x2の望遠でサロマ湖の龍宮台(砂州の開口部)を狙いました。f:id:himetaka2018:20210624122558j:image写真を拡大するとかろうじて灯台が写っているのが分かります。f:id:himetaka2018:20210620171213j:imageこの灯台は1989年6月の新婚旅行で見に行きました。まだ展望台もなく本当の端っこまで車で行けましたが、な〜んもない砂浜に灯台がポツンと立っていました。f:id:himetaka2018:20210624155200j:image対岸も見えた(写真下側が西の砂州の東端、写真中央が東側の砂州の西端)のでわざわざグルッと回って行ってみましたが、反対側は突端まで行くことが出来ませんでした。f:id:himetaka2018:20210626143605j:image37年後のサロマ湖です(2016年7月12日にサロマ湖展望台から撮影)。残念ながら雲に隠れて開口部や灯台を見ることは出来ませんでした。f:id:himetaka2018:20210626152148j:imageなお計呂地駅跡も保存されています(2016年7月12日に撮影)。f:id:himetaka2018:20210617123850j:image当時は湧網線の線路と能取湖の間に遮るものはなく一面サンゴソウが広がっているのが見えました。写真では湖沿いにしかサンゴソウは見えていませんが、実際には「辺り一面」という感じで無茶苦茶感動しました。残念ながら湧網線は1987年3月20日に、名寄本線も1989年5月1日に廃止されてしまい、サンゴソウも湖岸の開発によってごく一部の地域でしか見ることが出来なくなってしまいました。f:id:himetaka2018:20210617124840j:image網走では定期観光バスで天都山・網走刑務所・能取岬を巡りました。天都山に登る道から能取湖(写真の上側)や網走湖(同左側)が望め、写真右側には網走刑務所の農場(現在の大曲湖畔園地)も見えています。f:id:himetaka2018:20210617131948j:image当時はまだ博物館網走監獄ができる前で、実物の網走刑務所の門だけを見せてくれました(網走市観光協会のHPから転載)。f:id:himetaka2018:20210617131522j:image写真右端真中辺り山の麓に今は網走監獄に移設された有名な「五翼放射状平屋舎房」が微かに見えます。今もそうですが網走の駅前は何にもないため、駅東方に位置する繁華街まで歩いて行って食事をした事を覚えています。
特急「オホーツク」札幌07:00→遠軽10:47
名寄本線628D 遠軽11:07→中湧別11:29
湧網線925D 中湧別11:40→網走13:57
阿寒バス 能取美岬早回りコース 網走駅発着15:35-18:05
網走から札幌行寝台付客車急行「大雪10号」で上川まで行き、ここで交替する下り「大雪9号」に乗り換えて美幌まで戻って来ました。勝手に「上川ターン」と呼んでいた列車を宿代わりにする方法ですが、若いからこそ出来たワザだと思います。
急行「大雪9号」網走20:45→上川02:08
急行「大雪10号」上川02:18→美幌06:58

長くなるので後半に続きます。f:id:himetaka2018:20210628103858j:imageなお、急行「きたぐに」はNゲージ/Bトレで整備予定、特急「オホーツク」はNゲージで整備中(放置?)です。

 

以上