ひめたか鉄道2018

会社を定年退職して嘱託になり時間ができたことと、会社行事で見たアニメの銀河鉄道に出てくる車両に触発されて、これまで時間に追われてほとんど出来なかった鉄道模型を、ちょっと真面目かつ気楽に再開することにしました。

湖西線開業50周年

f:id:himetaka2018:20240929112859j:image1974年7月20日に開業した湖西線は今年(2024年)で50周年を迎え、地元滋賀県では各種記念事業が実施されました。
f:id:himetaka2018:20240929114711j:image7月20日には記念列車も運転されましたが、使われたのが225系100番台のL10編成「びわこおおつ 紫式部とれいん」だったので、オールドタイマーの心には全く響かず見に行きませんでした。
f:id:himetaka2018:20240929121840j:imageこの湖西線はもともと湖西地方の浜大津-近江今津間を走っていた江若鉄道を1969年5月16日に買収し、同年11月1日に廃止してその跡地(総延長51.165kmのうち約32.596kmを買収、そのうちの84%にあたる27.180kmを湖西線の敷地として利用)に湖西線が建設されました。
f:id:himetaka2018:20240929192316j:image建設されたのが遅かったことと北陸方面との特急街道になることから、当初から高速運転用の高規格路線として設計されトンネルを除く全区間が高架/築堤で踏切は一切ありません。
f:id:himetaka2018:20241006133204j:imageただ地元では有名な比良おろしという秋から春にかけて比良山系から琵琶湖に向かって吹く強風のことは考慮されなかったようで、何も遮るもののない平地に高架橋を立てたためモロに風を受けて運転見合わせが多発しました。
f:id:himetaka2018:20241006135002j:imageそれでも当初は回復運転が許されていたので目立った遅延はありませんでしたが、2005年4月のJR福知山線脱線事故を機に回復運転は行わないことになり、遅延が目立つ様になってきました。
f:id:himetaka2018:20241005212425j:imageさらに同年12月に発生した羽越本線の特急脱線事故で、強風による運転見合わせの基準を秒速30m以上から同25m以上と強化したため、翌2006年度は湖西線の運休が33回にもなりました。
f:id:himetaka2018:20240930010439j:imageその後防風柵の設置が進んで運休回数は減りましたが、2023年1月に起きたポイントの凍結による列車の立ち往生で計7000人の乗客が長時間閉じ込められた事故(私の知人も何人かが電車内で立ったまま夜を明かしたあと山科駅まで歩かされたそうです)でJR西日本の社長が謝罪する羽目になってから、強風による計画運休や運転見合わせの時間がまた増えてしまい、冬季には本来乗るはずの列車の1〜2本前に乗れる時間に駅に行くことが常態化しています。
f:id:himetaka2018:20240930011947j:imageさて開業当初の車両は、当時の湖西地方が多雪地帯だったことを考慮して113系を耐寒耐雪構造にした700番台を新規作製、全車冷房化・ユニットサッシ・シャッター式タイフォン・半自動式客扉・屋根上にカバー付き予備笛AW2がつき、クハ111は奇数向きが700番台で偶数向きは750番台となり、2M2Tの4連×9本と4M2Tの6連×8本の計84両が製造されました。
f:id:himetaka2018:20240930021525j:imageこの113系700番台は結果的に半年前に出た115系300番代から勾配抑速発電ブレーキを取り除いただけの仕様となり、東北本線では平地でも115系を使ったのになぜ湖西線だけ専用の113系を作ったのかという疑問が後々までついて回ることになります。
f:id:himetaka2018:20241006192714j:imagef:id:himetaka2018:20241006192718j:imageまたタイフォンの位置が113系0番台/1000番台と115系0番台はヘッドライト中心より下(写真左)で、113系700番台以降と115系300番代以降からはヘッドライト中心より上(写真右)に変更されています。
さらに屋根上予備笛は正面から見て真ん中に設置(写真右側の車両)されていて、後年に耐寒耐雪装備を行った車両は左肩(助士席上)に設置(写真左側の車両)されています。

f:id:himetaka2018:20241006144904j:imageこの113系700番台車は京都ー永原間の各駅停車列車に使用され、堅田(夏季は近江今津)まで乗り入れていた新快速は153系(1980年から117系)が用いられていて113系が運用に入ることはありませんでした。
f:id:himetaka2018:20241006145213j:image私が1976年4月から神戸に通い出した時は、姫路駅を06:56発の大阪行グリーン車付12両編成・07:00発の草津行11両編成・07:05発の大阪行11両編成のいずれかに乗車しており、このうち07:05発の列車が日曜休日のみ湖西線に乗り入れていましたが夏季期間には平日も運転されるようになりました。
f:id:himetaka2018:20241006153131j:image当時の普通車は非冷房が当たり前だったので全車冷房の700番台車に乗客が集中、かつこの列車が8両編成だったこともあり連日超満員で、特に先頭車両と最後尾車両は編成が短くなった分車両が停まらないところに並んでいた乗客が合流してくるため殺人的な混雑となり、折角の冷房が殆ど効いていない状態だった記憶があります。
f:id:himetaka2018:20241006163021j:imageなお開業当初は北陸本線が交流電化だったため近江塩津ー永原間に交直セクションが設けられており、1991年まで敦賀第一機関区所属の気動車近江今津敦賀間を走っていました。
f:id:himetaka2018:20241006174549j:image長浜電化の1991年からは交直流電車の419系や475系に変更されました。
f:id:himetaka2018:20241006190207j:image現在では鳩原のループを越えて敦賀まで223系や225系が乗入れていて、湖西線開業をリアルタイムで知っている年寄りには隔世の感があります。

以上